終戦の日

体験者なき時代にどう戦争伝えるか 文献のみ頼るのは危険 裏表ある高級軍人証言

戸高 昔のように国会図書館や防衛研究所に行って、簿冊を一冊一冊めくって調べるような苦労をしなくても原史料にすぐアクセスできる時代になりましたが、逆に当たっておくべき史料が加速度的に増えたともいえるので、研究者は労力を投じて勉強してもらいたい。難しくてもきちんと当時の日記やメモの読解や戦後の談話を読まないと。ある決定に際し公文書を1枚見てこれが全て、と思ってはだめで、あらん限りの傍証情報を当たらなければならない。

大木 当事者がいなくなる以上、これからは公文書に当たるしかなくなるのですが、陸海軍の文書は、字面ではそう書いてあるがその裏には、ということが多々ある。それを正確に読むには日記やメモといった私文書と照らし合わせないといけないのですが、これがやっかいな代物で。僕は甲谷悦雄さん(元陸軍大佐、戦中にドイツ駐在)のメモや田中新一(元陸軍中将、開戦時の参謀本部作戦部長)の日記とにらめっこしたことがあるんですが、やはり我流の崩し方をしてあるから読めるようになるまで一苦労なんですよ。

戸高 私が初めて米国立公文書記録管理局に行ったのは1980年なんですが、関係者の手帳の切れっ端みたいなものもきちんとファイリングされていたりする。資料の保存に対する熱意や責任感が日本に比べて米国は非常に強いという印象を受けましたね。歴史というのは思想ではなく事実ですから、良いことも悪いこともある。片方だけ見て、自分に都合のいい歴史観を作るのは戦前だけでなく、戦後も続いている。両方を見て初めて歴史が理解できるのであって、ちゃんと理解できなかったものは第三者に伝えることもできない。だから全部を残さなくてはならない。

最後に、戦争があってはならないのは確かです。しかし、戦争を避けるためには戦争を知らなければならない。知るためには歴史に興味を持って自分で勉強する必要がある。その知りたい気持ちを刺激するのが、今後の博物館や資料館の役割だと思いますね。