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先の大戦で日米両軍の激戦地となった硫黄島(いおうとう)(東京都小笠原村)で、遺骨収集が難航している。日本軍約2万2千人が死傷したものの、今も1万柱を超える遺骨が現地で眠ったままだ。「遺骨を本土に帰す、その一助となりたい」。終戦から15日で73年。硫黄島の戦いで指揮を執った栗林忠道(ただみち)陸軍中将の生家を継ぐ栗林直高(なおたか)さん(73)=長野市=は、強い思いを胸に収集活動を続けている。
大小の石を取り除き、あらわになった土の層を注意深く掘り進める。骨の欠片が見えた。やがて姿を現したのは、辛うじて形を保っている頭蓋骨や顎の骨、歯…。砲弾や爆撃で粉々になったとみられる将兵たちの姿だった。
「無念だったでしょう」「守っていただき、ありがとうございます」。今年1~2月、硫黄島へ遺骨収集に赴いた直高さんは、そんな言葉をかけながら一つ一つの遺骨を拾い上げた。
硫黄島での遺骨収集に参加するようになったのは平成24年。元公立中学校長の直高さんは栗林中将の兄の孫に当たり、現在は生家を守っている。一兵士だった叔父も硫黄島で戦死しており、「少しでも供養になれば」との思いがあった。
だが活動を続けるのは「遺族としての思い」からだけではない。ある時、遺骨収集に参加していた80代男性から、父親が戦死したことを「わびてほしい」と詰め寄られた。考えた末、「私でよければ」と頭を下げた。その後、男性が見せた穏やかな表情は、今も目に焼き付いている。