甲子園球場1階のOB室で始まった江本を助けるための異例の記者会見。ベンチがアホやからと本当に言ったのか? 筆者の上司である左方キャップの質問に誰もが「言うてない」という答えを予想した。ところが江本は、「あぁ、言うたよ」と平然と認めた。
「けど、記者の質問に答えたわけやないやろ。龍一も独り言やと言うてた」
「そらちゃうわ。どんな言い方にせよ、オレが言うたことは事実や」
「エモよ、格好つけんでええ。お前、それがどういう意味か、分かって言うてるんか? 公式に首脳陣を批判したことになるし、騒動になるぞ」
〈そうですよ、エモさん。罰金では済まなくなるよ〉
「あぁ、わかってる」
〈ちっとも、わかってへん!〉
「今に始まったことやない。首脳陣はオレを信用しとらんし、どう使おうというのか、さっぱりわからん」
江本の口からは堰(せき)を切ったかのように、次々と首脳陣批判が飛び出した。
「165球も投げとったんやから、疲れてるのはわかっとったやろうに、ピンチのところでは代えずに、同点にされてベンチに戻ったら交代が決まっとった。そんなアホなことがあるか?」
江本の「ベンチがアホ」発言、実はこれが初めてではなった。1年前の昭和55年10月7日、広島球場で行われた広島24回戦で「アホ」発言が飛び出していた。
2-2の同点で迎えた八回、踏ん張っていた先発の江本が、1死二塁で衣笠に四球を与え、一、二塁のピンチを招いた。ベンチからマウンドに駆け寄った藤江投手コーチがいきなり「交代」を告げる。カッときた江本は怒りの捨てゼリフを残し、次の投手が来るまでマウンドで待つ-という球団規律を破ってベンチへ引き揚げた。
この時、江本は8勝(15敗)。9年連続10勝に執念を燃やしていた。阪神の残り試合は7。この試合で9勝目を挙げなければ10勝到達は絶望的となる。しかも、衣笠への四球は捕手の若菜との間で「内角を攻めて併殺を狙う。カウントが悪くなったら歩かせて、次のデュプリーと勝負する」と打ち合わせができていた。ベンチは何も分かってへん!
「打たれても、くたばるまで投げたかった。けど、監督が一番偉いんやから…」。江本の怒りは収まらなかった。
この騒動は大きくはならなかった。暴言の中身が封印されたのと、翌日、「まだ投げられるのに…という悔しい気持ちがあんな形(暴言)で出てしまった。冷静さを欠いてまずかったと思う」と江本が謝罪し、首脳陣も「不問」としたからである。
だが、今回は違う。江本は独り言を公式の首脳陣批判に変えてしまったのである。(敬称略)