虎番疾風録

バットを手にした江本がツカツカと…「お前か、あの記事書いたんは!」 其の一2

阪神のエース・江本。選手会長としてもチームを引っ張っていた
阪神のエース・江本。選手会長としてもチームを引っ張っていた

虎番疾風録 其の一1

昭和55年春の甲子園球場。1年生「虎番」記者として初めて入る阪神ベンチはやはり緊張感が違った。オープン戦とはいえ試合前のベンチは、多くの報道陣でごった返していた。目の前を縦じまのユニホームを着た選手たちが通っていく。

〈もう手伝いやない。ここが取材のホームグラウンドや〉と身も心も引き締まる。グラウンドを見ると、江本がベンチに向かって真っ直ぐに歩いて来る。手にバットを持って。

〈なんでバットを?〉と一瞬思った。どんどん近づいて来る。江本と目が合った。とたんバットが振り上げられた-。

「お前かぁ! あの記事を書いたんは!」

思わずその場にしゃがんで目をつむった。バーンというけたたましい音。目を開けると会社の先輩・左方キャップが江本を押しとどめていた。

「やめ、エモ! あの話はわしらも聞いとった。その記者が書いたんは事実や。ウソやない」

〈なんちゅう世界や〉これが江本との出会いである。この事件は記事にはなっていない。それどころか、左方はこう言った。

「龍一よ、エモを誤解したらアカンで。あいつは悪いヤツやない。ああして怒ったんも自分のことを書かれたからやない。若い選手を守るために怒ったんや」

江本が怒りをぶつけたのは、ちょうど筆者の真後ろに立っていた読売系スポーツ紙の記者にだった。実は数日前に「米国・アリゾナキャンプは日本との寒暖差が激しく調整が難しい。だから来年はできれば行きたくない」と、ある若手投手が発言した-という記事が載った。球団はその選手に発言の真意を確かめた。思いも寄らぬ反響の大きさに、その投手は「そんなことは言ってません」と発言を否定した。これを伝え聞いた選手会長の江本が怒った。

「巨人が系列の新聞社を使って、開幕前にウチのチームを乱そうとしとる。利用される若い選手がかわいそうや」というわけで、ベンチ恫喝(どうかつ)事件に至った。たしかに、江本が正義感あふれる人物だということはよーく分かったが、怒るとやはり怖い。話を56年のベンチ裏に戻そう。

バーンというドアを開く音とともにベンチから出てきた江本は、鬼のような形相だった。当時、取材ができたのはロッカールームへつながる選手関係者入り口までの約100メートル。大股で歩く江本を小走りで追いかけながら「あのう…」と2度声をかけてみたが反応なし。そしてそのまま関係者入り口の中へ。

〈談話なし。まぁええか。怒鳴られるよりましや〉内心ホッとして江本の背中を見つめた。そのときである。持っていたグラブを壁にぶつけた江本が叫んだ。

「ベンチがアホやから、野球がでけへんわ!」(敬称略)

虎番疾風録 其の一3

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