〈資料を手書きで作って、夜中に車で上京し、15日午前のご進講に臨んだ〉
情報が少ない中で、ただ一つ申し上げたのは、「この事故は(1979年の)スリーマイル島原発よりはるかに大変な事故です。まだ今後どうなるか分かりません」ということでした。津波でポンプが流され、原子炉を冷却できない状態で、次の日には水素爆発しているわけだから、先々大変だとは予見できました。両陛下からはいろいろな質問が出て、50分の予定が1時間20分ぐらいになりました。次の日に陛下がビデオメッセージを出され、ただならぬ事態だから、全国民挙げて対処するようにというお言葉になっていました。ご進講でのやりとりは、そこに象徴されていると思っています。
〈陛下は16日のビデオメッセージで「現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、関係者の尽力により事態のさらなる悪化が回避されることを切に願っています」と言及された〉
陛下には間違いのないメッセージを出していただきたいという気持ちはありましたが、私だって半分想像ですから。原子炉の中で何が起こっているか、詳しいことは全然分からない。ただ、ただならぬことが起きていることだけは分かっていました。(聞き手 鵜野光博)
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【プロフィル】田中俊一
たなか・しゅんいち 昭和20年、福島市生まれ。東北大学工学部原子核工学科を卒業し、42年、日本原子力研究所(現日本原子力研究開発機構)入所。平成16年、同研究所副理事長。高エネルギー加速器研究機構とともに、最先端研究のためのJ-PARC(大強度陽子加速器施設、茨城県)を整備した。19年、原子力委員会委員。22年、高度情報科学技術研究機構会長。24年、原子力規制委員会委員長。29年9月に退任し、30年1月から福島県飯舘村復興アドバイザーを務める。