8月5日に投開票を迎える知事選は、現職の阿部守一氏(57)=自民、立民、国民、公明、社民推薦=と、新人の金井忠一氏(68)=共産推薦=による一騎打ちの構図となっている。両氏の経歴や人柄などを紹介する。(太田浩信)
◆阿部守一氏
東京都国立市の中央線沿線で幼いころを過ごし、急行列車「アルプス」を見ては、遠く松本や白馬の風景を夢に描いた。東大を卒業後、旧自治省(総務省)に入省し、長野県に企画局長として赴任したのは平成13年。田中康夫知事(当時)の誘いを受けたからだった。
着任から9カ月を経て副知事となり、派手な県政運営でマスコミをにぎわす田中氏の女房役を務めた。だが、住民票を通勤時間が片道3時間もかかる泰阜村に移すなどのパフォーマンスについていけず、3年間でたもとを分かった。道半ばで去らざる得なかった。
それでも、長野県の潜在能力の高さにはほれ込んだ。「よりよい県にしたい」との思いが募り、22年の知事選に出馬した。
挫折をエネルギーに変える力があると自負する。名門私立高に入学したものの、あまりの窮屈さに夏休み前に退学した。中学浪人も覚悟したが、解放感に満たされた。都立高の編入試験に通り、浪人生活は避けることができた。
旧自治省時代にも、神経障害で手足がまひする難病「ギラン・バレー症候群」を患った。病院で診療科をたらい回しにされ、すぐに病名が診断できなかった。この経験から、「一つの物事を見るときには縦割りではなく、総合的に考える」との教訓を得た。
自分の性格について、「長所は人の話をよく聞くこと。短所は気が短く、結果をすぐに求めること」と笑う。それは、職員の評価ともおおむね合致する。
まじめで堅苦しい性格のように映るが、大学時代はクラスのコンパ委員として、もっぱら飲み会の設定に駆け回る日々を送った。
長野県を本当のふるさとにするため、26年の再選後、小諸市に自宅を建て住民票を移した。自宅には薪ストーブがあり、「揺らぐ炎をみていると心が安らぐ」。空を見上げ、家の周辺を歩くのもお気に入りだ。
ただ、公務が多忙を極め、1年の大半を県庁近くの知事公舎で、妻の宏美さん(56)と暮らす。「ほとんど家に帰れていない」と苦笑いする。
◆金井忠一氏
上田市職員、同市職員労組副委員長を経て、市議を5期務めた。今年3月、2度目の挑戦となった上田市長選で敗れ、「年金暮らしもいいか」と思い描いていた矢先、阿部氏の3選出馬表明の報道に接した。「大北森林組合の真相を隠すような県政であってはならない」と出馬を決意。「選挙戦に全てをささげ、全力を尽くす」と誓った。
上田市下室賀の農家の長男に生まれた。水稲や養蚕に精を出した父が、6歳の時にオートバイ事故で亡くなった。母とともに朝4時に起床し、蚕の餌となるクワの葉を山に切り出しに向かう毎日。学校を終えても山での作業が待っていて、「暗い山道を歩くのは辛かった」と振り返る。
母は95歳で天寿を全うした。生前、周囲の助けでここまで生きてこられたとよく諭された。子供の頃の苦労が頑張りの原点であり、周りの人への感謝の気持ちをいつも忘れない。
市役所では、収税課や農政課で市民と直接、向き合う日々を過ごした。減反政策を農家に説明したときに、「何でコメを作っちゃいけないんだ」とえらく怒られた経験が忘れられない。「トップにならない限り、世の中を変えられない」。そう強く思った。
自分の性格を「何でも気合を入れてやることが、長所でもあり短所でもある」と分析する。リーダーシップが強すぎて、「人の上に出たがる」と自己評価する。不正をみると、すぐ頭に血が上る熱血漢だが、「年を取り丸くなってきた」と笑う。
太陽をモチーフに描く隣家の画家と親しく交流し、絵画鑑賞が趣味。年に1回は上京し画廊巡りを楽しむ。絵本作家のいわさきちひろのファンを自認しており、レプリカも含め十数点の絵画を自宅に飾り、市議生活で負うストレスを癒やしたという。
青年団活動でリーダーシップを養い、そこで真佐子さん(69)と出会った。熱愛の末に21歳で結婚。家は弟に任せて婿養子に入った。2男1女に恵まれたが、既に全員が独立。6人の孫が家に来てくれるときが、一番の幸せだとまなじりを下げた。