「私は戦時中すでに物心が十分ついた年齢でした。一族は代々、慶尚北道の大地主で 郷里には多数の親族と小作人家族が30所帯ほどおりました。その親族、小作人の家庭には、もちろん百人以上の少女がおりました。それなのに、そのうち日本の官憲により、慰安婦として強制拉致された事実は一件もありません」
R氏は自身の記憶と体験談を踏まえてひとつ一つ状況を説明している。そして、一部で20万人とも指摘される慰安婦の数についてはこう疑問を投げかけた。
「当時の朝鮮人人口は2000万を切りました。日本軍がその中から20万人の少女を強制拉致したのなら、まさに朝鮮人少女の根こそぎ拉致となってしまいますが、わが家族、一族、小作人家族の少女はみな安泰でした。また、当時、日本軍による少女拉致は目撃したこともありませんし、その様な話を聞いたこともありません」
■どうやって日本人と朝鮮人を区別したのか
また、日本軍による朝鮮人女性の強制連行が容易でない理由も次のように述べている。
「日本軍がひそかになんらの騒動もなく、大勢の朝鮮人少女を拉致することは不可能です。警察官の半分以上は朝鮮人でした。ご存じのように、当時、朝鮮人は創氏改名で、ほとんどが日本名を名乗っていました。日本官憲が路上でどのようにして日本人少女と朝鮮人少女を区別して、朝鮮人少女のみを強制拉致できたのでしょうか」
日本側が住民とトラブルを起こすことなく多くの女性を強制連行することは不可能だと、私の韓国の友人たちも同様に否定することは興味深い。