旧日本軍潜水艦「呂500」を若狭湾で発見 元乗組員が明かした「終戦後の出撃」秘話

 潜水艦はひとたび攻撃を受ければ、ほぼ脱出する方法はない。この準備期間に小坂さんは舞鶴で故郷の方向に帰るであろう北陸出身者を見つけ、両親宛の遺書代わりの手紙と前払いされた3カ月分の給料、そして「息子は元気で出ていった(出撃していった)」との言づてを託した。

 しかし、8月15日、玉音放送を聞いた他の潜水艦の乗組員から敗戦の一報がもたらされた。呂500はラジオの調子が悪く、直接聞くことができなかった。

 「一矢報いてやる」。それでも乗組員たちは出撃の決意を固めていた。誰の仕業か、船体の日の丸の横には、どくろのマークが描かれた。「死を覚悟してのことだと思う」(小坂さん)。8月18日、乗組員たちは真っ白な作業服に着替えて甲板に整列し、岸壁を埋め尽くした見送りの人々に向かって敬礼した。命令に背いての出撃だった。

 だが、出港して一晩たったころのこと。「(ウラジオストクに)行ってはだめだ!」。本国から繰り返し下されていた帰港命令に応じることになった。乗組員たちは泣きながら帰って来たという。

 後年になり、元乗組員が集まる戦友会の会合で、呂500が若狭湾で海没処分になったことを知ったといい、「悲しかった」と当時を振り返る小坂さん。今回、インターネットで生中継された海底調査の様子を見守ったが、長い年月がたっていることもあり、映し出される船体を見ても分かりづらかった。

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