旧日本軍潜水艦「呂500」を若狭湾で発見 元乗組員が明かした「終戦後の出撃」秘話

 あまりにも静かだったため、日本海軍は呂500を標的艦とし、これを海の中で探査する技術の開発に努めたほか、実際に探し出す訓練も行っていたという。

 溶接技術も日本より優れていたといい、研究の対象になっていたとみられる。浦氏は「戦後、日本の造船技術を支えたのは溶接技術。その技術の高さは、こういうことからも波及しているんじゃないかと考えられる」と指摘した。

 また、沈んだ潜水艦を探す意義を「海の中に沈んだものは忘れ去られる。それをできるだけ掘り起こして歴史の事実として提示することが重要だ。歴史を学ぶことは、歴史を考えることの基礎になる」と浦氏は語った。

「死を覚悟した」どくろマーク

 「戦争に負けたがために沈められたのは悲しく、残念だった。見つかったことはうれしい」

 呂500の発見をとりわけ喜ぶ男性がいる。終戦の年の昭和20年、2等下士官として10代で同艦の砲撃手になった小坂茂さん(92)=福井県越前市=だ。乗組員として過ごしたのは短い期間だったが、同艦をめぐる記憶は色濃く残っている。

 終戦間際の20年8月12日ごろ、訓練中だった呂500に旧ソ連・ウラジオストクへの出撃命令が下り、準備のため舞鶴港に戻った。狭い艦内の通路は食料品や装備であふれ、ベッドの下には魚雷が収納された。

会員限定記事会員サービス詳細