病に伏しがちだった晩期の夏目漱石は、乾湿どちらかといえば湿り気の多い文を書いた。世が選挙や不景気に多端の頃、新聞の随筆『硝子(がらす)戸の中(うち)』(大正4年)でこぼしている。〈閑散な文字を列(なら)べて紙面をうずめて見せる〉のが恥ずかしい、と。
▼通勤電車で活字を追う読者への気兼ねか、〈切り詰められた時間しか自由に出来ない人たちの軽蔑を冒して書く〉と断ってもいる。騒がしい世を映す紙面の隅に、日々の所感や花鳥風月をつづる。その点ではコラムの立場も近い。身の程を知れ-の批判を覚悟で、文豪の屈託に共感の一票を入れる。
▼世相を見ると、本稿の筆を乾湿いずれに寄せるかが悩ましい。関東甲信で史上最も早く梅雨が明け、W杯の「サムライブルー」躍進というからりとした話題もあった。かと思えば、迫る台風の動静が紙面に湿りと陰りを加えている。
▼「五風十雨」は中国古典の言葉という。風は五日に一度、雨は十日に一度が太平の世の証しとされるが、空は人の都合に合わせてはくれない。照れば照ったで作物の実りや水事情が懸念され、降れば降ったで災害の足音が気になる。
▼漱石の苦悩も恐らくそこにあったと思われる。病身で外出もままならず、「硝子戸(=自室)」を隔てて社会を眺めざるを得ない。喧噪(けんそう)のちまたに出回る紙面では、自身の内側をつれづれ書くより大事なニュースがあるのではないか、と。世情の湿度に過剰なほど敏感な、文豪の人柄がしのばれる。
▼壁に掛かった今年のカレンダーは、半分の厚さにまで減っている。破った暦のうちに過ぎた日々の、乾湿は人それぞれだろう。ニュースをたどってみるかぎり、悲涙に暦が乾く間もない半年だった。残る6枚の暦が、感涙の湿りを帯びるといい。