明治維新150年 埼玉県誕生

歴史編(3)「飯能戦争」 県民同士の衝突 官軍総攻撃で焼け野原に

振武軍討伐に向けた新政府軍の進路
振武軍討伐に向けた新政府軍の進路

 慶応4(1868)年1月3日、鳥羽・伏見の戦いを契機に始まった戊辰戦争は、明治維新の成立に大きな役割を果たしました。15代将軍の徳川慶喜はこの戦いの最中、大坂から海路で江戸に逃れ、2月11日に新政府に恭順の意を表すとともに、翌12日には上野・寛永寺に蟄居(ちっきょ)しました。この事態を受け、江戸において慶喜の冤罪をそそぎ、慶喜への忠誠を貫徹しようと、同志を集めて事を計ろうとした血気盛んな若い烈士がいました。

 ◆「彰義隊」結成と内紛

 そんな烈士たちが会合を重ねた末、2月23日に浅草本願寺に集まり、「大義を彰(あきら)かにする」という意味の彰義隊を結成しました。彰義隊に参加した人間、特に幹部たちには武蔵国出身者が多くいました。

 結成された彰義隊の頭取に血洗島(ちあらいじま)(現・深谷市)出身の渋沢成一郎(渋沢栄一のいとこ)が選ばれました。幹事として彰義隊第1の英傑といわれた旧幕府の陸軍調役の伴門五郎(ばん・もんごろう)(現・蕨市出身)、14番隊隊長の比留間良八(ひるま・りょうはち)(現・日高市出身)らがいました。

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