明治維新150年 埼玉県誕生

歴史編(3)「飯能戦争」 県民同士の衝突 官軍総攻撃で焼け野原に

 5月23日早朝、川越城などを出発した官軍による総攻撃が始まりました。振武軍の奮戦むなしく午前11時ごろ、官軍の放った2発の砲弾が能仁寺本堂の屋根に命中し、陣営は猛火に包まれ、敗走しました。実は、官軍の中には川越藩などの藩士も参戦していました。後に言われるこの飯能戦争は「埼玉県域内での県民同士の戦い」で、戊辰戦争の中では県内唯一の局地戦でもありました。

 ただ、飯能戦争は地元の人たちにとっては、全く迷惑なものでした。本陣となった能仁寺をはじめ4つの寺は焼け落ちました。智観寺の文書によると、飯能村を含む周辺の民家は計200戸が焼失、全体の半数近くに上りました。まさに飯能中心部は焼け野原。「(無血開城の)江戸城明け渡しで逃れた戦争を飯能が引き受けた」。誰が言ったか知りませんが、こんな恨み節が漏れるほどでした。(松本博・ぶぎん地域経済研究所取締役調査事業部長)

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