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明治維新150年 埼玉県誕生

歴史編(1)「細切れ支配」だった江戸時代 藩主と領民の結びつき薄く

廃藩置県直後の県域諸県
廃藩置県直後の県域諸県

 江戸時代の武蔵国は、現在の首都圏に重ね合わせると、埼玉県と東京都と神奈川県の一部(横浜市や川崎市など)が含まれました。現在の埼玉県域は、「北武蔵」と言われた地域。県議会史によると、武蔵国には21郡121郷が置かれていましたが、このうち15郡73郷が埼玉県域に所在していました。さらに、老中など幕閣の中心となる人物を輩出した忍藩(行田市)、川越藩(川越市)、岩槻藩(さいたま市岩槻区)は「武蔵三藩」と敬意を持って呼ばれていたそうです。

 ◆徳川将軍家のお膝元

 江戸幕府開府以来、武蔵国は徳川将軍家のお膝元となり、政治の中心となります。また、北武蔵の埼玉県域は、江戸という大消費地を背後から支える重要な穀倉地帯として、大きくその地政学的な立ち位置を変えていきました。軍事的・政治的な重要性もあり、「蔵入地」と言われる幕府直轄領(天領)、また御三卿(徳川家直系の田安・一橋・清水の三家)の領地や旗本知行地(旗本領)が非常に多かったのも特徴でした。

 背景には、江戸の防衛線として重臣(幕閣の中心であった大老や老中、若年寄など)が配置された歴史的経緯もありますが、彼らの多くは幕閣の中枢を担う高級官僚でした。今でいえば、霞が関のキャリア組の転勤と同じで、転封などにより藩主交代が他の地域に比べ頻繁に行われていました。

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