ミュージシャン、伊藤銀次さんが自伝 音楽ジャングルでサバイバル、半世紀の歩み

 銀次さんは、昭和25年のクリスマスイブに大阪市内で生まれた。自伝は、まさにその生い立ちから語られるから、ここで来し方に言及するのは、屋上に屋を架すことになるが、少しだけ触れよう。

 47年にレコードを出し、大阪を音楽活動の拠点にしていた銀次さんは、大滝さんから「東京に出てこい」と発破をかけられ48年に上京した。大滝さんは、バンド「はっぴいえんど」が前年に解散し、若手の育成に目を向けていた。

 「大阪時代の僕は生意気で、『自分が一番だ』と。大滝さんに、その鼻をへし折られました」

 鼻は折れ、人生は転換した。銀次さんは、東京に腰を据えた。大滝さんは、折あるごとに銀次さんの人生の舞台を回した。例えば51年、大滝さんは、3人が共作する企画レコード「ナイアガラ・トライアングル VOL.1」を出したが、共作者に山下達郎さん(65)と銀次さんを選んだ。

 6年後、大滝さんは「ナイアガラ・トライアングル」の続編を作った。三角形の頂点の一つに、佐野さんを選んだ。

 「縁を重んじる大滝さんが、『いま、銀次が佐野元春のところにいるから』と佐野君を指名した」

 当時、銀次さんは佐野さんのバンドにギター奏者として籍を置き、音作り全般の羅針盤になっていた。

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