■皇后さま、被災地への思いピンバッジに
平成28年4月14日午後9時26分。震度7の大揺れが熊本を襲った。
県くまもとブランド推進課くまモン担当主幹の四方田(よもだ)亨二(44)=現くまモングループ=は、慌てて自宅から県庁へ向かった。交通機関は麻痺している。自転車を懸命にこいだ。
午後10時前、県庁8階の部屋に入った。残っていた職員2人が安否確認に追われていた。キャビネットから書類が飛び出し、さまざまなくまモングッズも、床に散らばっていた。
四方田ら同課職員の半分以上は、被災者支援に向かった。
「大きな余震も起きている。身の安全確保と被災者の救援を最優先にするんだ」。誰かの声が聞こえた。
やがて、くまモンファンからメールが届き始めた。「くまモン、大丈夫?」「けがしてない?」。そんなメールだった。
翌15日、くまモンの公式ホームページで「くまモン隊は被災者を最優先に行動しており、SNSでの情報発信は控えています」とのコメントを出した。
16日未明、2度目の最大震度7が熊本を襲った。
建物の下敷きになるなど直接死は50人に達した。建物被害は19万棟に上った。6月に被災地を襲った豪雨での2次災害の犠牲者や震災関連死を含め、260人以上が亡くなる大災害だった。
くまモンは活動を中断し、担当職員は被災地に入った。四方田は被害の大きかった益城町の避難所で、救援物資の配布などに従事した。
瓦礫の山。嘆き、疲れた人々。だが、四方田は行く先々で、くまモンのイラストを目にした。
「くまモン、君が必要とされる日は必ず来るよ」。そう言い聞かせた。
× × ×
くまモンはまず、「2次元」の世界から、被災者にエールを送り始めた。
「くまモン頑張れ絵」だ。漫画界の大御所、ちばてつや(79)らが始めた。くまモンの絵に被災地へのメッセージを添え、ツイッターに投稿した。有名漫画家やイラストレーターから、趣味で絵を描いてる人まで、熊本を応援する輪が広がった。
この活動を、電波に乗せようという動きもあった。
「避難所の子供が『テレビを消して』と泣いているらしい」
電通九州クリエーティブディレクター、和久田昌裕(39)は、熊本支社の社員から、こんな話を聞いた。
現地のテレビは、地震関連の報道一色だった。合間に入るCMは、ACジャパンの同じものばかり。大人にとって必要な情報でも、子供にしてみれば、辛い内容が流れるだけになっていた。
和久田は熊本県玉名市出身だ。実家の被害こそ免れたが、友人知人の多くが被災した。
「知り合いの子供がテレビを見て、泣いているかもしれない。広告マンとして何かできないだろうか」
和久田は25年に「くまモンほっぺ紛失事件」のキャンペーンを手がけた。「くまモン頑張れ絵」をCMに使おうと考えた。すぐに企画書を書き、ACジャパンの事務局へ持ち込んだ。
ACジャパンサイドも、被災者を元気づけるCMを考えていた。和久田の企画に、GOサインが出た。
和久田は動く。漫画家5人に連絡を取り、快諾を得た。「ちびまる子ちゃん」の作者、さくらももこ(53)も、その一人だ。さくらは、くまモンのお面をかぶり、涙を浮かべている、ちびまる子ちゃんを描いた。
CMが完成した。セリフもキャッチコピーもない。唱歌「ふるさと」の曲に合わせ、5人の漫画家が描いた「頑張れ絵」を15秒間映し出す。
和久田は4月27日夕、新幹線に飛び乗り、熊本に向かった。この日、九州新幹線が全線で復旧したばかりだった。熊本の民放各局を回り、CMのテープを届けた。
CMは多くの被災者を元気づけたのだろう。地震から1カ月後、和久田の元に匿名の感謝状が送られてきた。
× × ×
「くまモン、地震で傷ついた子供たちを、励ましてください」
新幹線が全線復旧した頃、熊本県庁には、全国からこんな手紙が100通以上届いた。
ライフライン復旧は軌道に乗り、自宅へ戻れる被災者も増えてきた。くまモンの活動を再開すべきかもしれない。
しかし、四方田ら、くまもとブランド推進課の課員は、逡巡(しゅんじゅん)していた。
「まだ苦しんでいる人が大勢いる」「苦しむ人に寄り添うのがくまモンの使命ではないか」
四方田らは、益城町や南阿蘇村の惨状を目の当たりにした。それだけに容易に結論は出せなかった。
決断のタイミングが、5月5日の「こどもの日」だった。
「ひとときでも子供らに、地震を忘れて楽しんでもらう機会をつくりたい」
課内で、くまモンを交えて話し合いをした。ぎりぎりの4日、活動再開を決定した。くまモンが活動を再開する-。報道資料が発表されたのは、夜8時頃だった。
5日午前10時半過ぎ、くまモンは西原村の「にしはら保育園」に登場した。
「くまモンだ!」
歓声が上がった。園児らは我先に駆け寄る。もみくちゃになったくまモンは、子供一人一人と、握手をした。子供は弾けるような笑顔だった。無表情なくまモンの顔も、笑っているように見えた。
くまモンは午後2時ごろ、多くの被災者が車中泊を続ける益城町の「グランメッセ熊本」の広場にいた。
突然の登場。親子連れから驚きの声が出た。ここでも、笑顔の子供に取り囲まれた。くまモンと子供は、歌に合わせて踊った。
くまモンに向かって手を合わせ、拝むような仕草をする高齢者もいた。
「熊本にとって、本当に大きな存在なんだ」。四方田は目を細めた。
県環境生活部の政策審議監、宮尾千加子(54)=現熊本県教育長=も、この話を聞いた。宮尾はくまモンがブレイクする前、担当課の課長だった。「県民の心を癒やすことも、くまモンの役割なんだ」と感慨深かった。
熊本地震では、全国から義援金計約518億円が届けられた。
「遠隔地の災害であっても、被災地に知り合いが一人でもいれば、その災害を身近に感じられる。熊本地震では、全国の人にとって、くまモンがその『一人』だった。震災を経て、くまモンは熊本のシンボルになった」。県東京事務所次長の成尾雅貴(60)=現同事務所所長=は、こう考えた。
くまモンは熊本県営業部長、しあわせ部長の肩書きを持つ。そこに復興の旗振り役という役目が増えた。
× × ×
地震から1カ月が過ぎた28年5月19日、天皇、皇后両陛下が被災地を見舞うため、熊本に入られた。
犠牲者に祈りをささげ、避難所で被災者にいたわりの言葉をかけられた。救助や支援活動に尽力した警察や消防、自衛隊の関係者をねぎらわれた。
その皇后さまの服に、くまモンのピンバッジがあった。
3年前の25年10月、両陛下は水俣市で開かれた「全国豊かな海づくり大会」に出席のため、熊本県を訪問された。
くまモンは両陛下の前で、くまモン体操を披露した。皇后さまは「ありがとう。くまモンさん」と声を掛けられた。陛下も「ご苦労さま」とねぎらわれた。
この際、知事の蒲島郁夫(71)が、特製のピンバッジを差し上げた。
それから3年-。
皇后さまは、くまモンのピンバッジを着けて、被災地を回られた。
ピンバッジの件は、アナウンスされてはいなかった。だが、両陛下と面談した蒲島は気付いた。
「被災地を思い、被災者に寄り添っていただいている。さりげなく、それでいて強いメッセージでした」
(敬称略)
=おわり
この連載は谷田智恒が担当しました。