「平成最後」の日本ダービーを制したのは、福永祐一騎手が騎乗したワグネリアンだった。感極まった祐一さんの涙は、19度目の挑戦で夢をかなえた喜びだけではない。「父が一番勝ちたかったレース。ようやく父に誇れる仕事ができました」という言葉がすべてを物語っている。
▶父の洋一さんは9年連続でリーディングジョッキーに輝き「天才」と称された。が、昭和54年3月、落馬事故で頭を強打し、騎手生命を絶たれた。関西テレビの名競馬アナウンサー、杉本清さんは「洋一が落ちて競馬は変わった。洋一中心にレースが動いていたのに、その中心がいなくなったのだから」と言った。
▶事故の時に祐一さんはまだ2歳だった。やがて競馬の世界に入ったが、「天才の息子」は重荷でしかなかったろう。「父を超えようとは思わないし、超えられない存在」。それでも勝利数は洋一さんを超え、ついにダービージョッキーになった。競馬は人間のドラマでもある。