とちぎの明治150年

土方歳三の足跡(上)わずか6時間で宇都宮城陥落

【とちぎの明治150年】土方歳三の足跡(上)わずか6時間で宇都宮城陥落
【とちぎの明治150年】土方歳三の足跡(上)わずか6時間で宇都宮城陥落
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 関東七名城の一つだった宇都宮城が焼け落ちたのは150年前の戊辰戦争のときだ。宇都宮は戊辰戦争の激戦地となり、新選組の土方歳三(1835~69年)も旧幕府軍の指揮官の一人として活躍する。

 慶応4(1868)年、旧幕府軍は会津藩と連携して新政府軍に対抗しようとしていた。まずは日光を目指し、会津藩と合流するもくろみで、宇都宮城をその拠点としたかったのだ。

 宇都宮市文化財保護審査会委員の大嶽(おおたけ)浩良さん(73)は「宇都宮藩は譜代大名で本当は幕府に付くべきだが、新政府側に付いた」。この判断が宇都宮城の命運を分けた。

 宇都宮城は17世紀初めに大改造され、大手門のある北側や西側の防備は固かったが、東と南側は田川が流れるだけ。あとは雑木林や竹やぶで土塁も低く、弱点になっていた。攻める旧幕府軍は、フランス式戦術で訓練された精鋭、伝習隊の大鳥圭介に土方らが合流。

 「幕府で奉行をやっていた大鳥は宇都宮城の地図を入手し、城の弱点を知っていた」と大嶽さん。また、土方も城下に放火しながら城南東部の下河原門に向けて進んだ。下河原門の戦いが最も激戦となり、敵の反撃に恐れをなした歩兵が逃走しようとすると、土方は「退却する者は誰でもこうだ」と切り捨てた。宇都宮城は1千人の軍によって、わずか6時間で陥落した。

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