飛鳥から奈良時代にかけて天皇がたびたび行幸(ぎょうこう)した離宮「吉野宮(よしののみや)」跡とされる奈良県吉野町の国史跡「宮滝遺跡」で、奈良時代前半(8世紀前半ごろ)の大規模な掘っ立て柱建物跡が見つかり、県立橿原考古学研究所と町教委が15日発表した。四方に庇(ひさし)がついた格式高い建物で、全体規模は東西23・7メートル、南北9・6メートルに及ぶことが判明。町教委などは「吉野宮の中心施設だった正殿と考えられる」としている。
今回の調査では、掘っ立て柱建物の西端に当たる柱穴跡が出土。平成元年に実施した調査で、南北両端と東の端がすでに見つかっており、掘っ立て柱建物の全容が明らかになった。建物は飛鳥時代ごろに造営された後、6回程度の建て替えと修復を繰り返し、奈良時代前半まで維持されていた可能性がある。
吉野宮の所在地は、吉野川北岸に位置する「吉野町宮滝」が明治時代の地誌書に登場し、有力視された一方で、昭和初期には奈良県東吉野村とする説も浮上。所在地論争が勃発し、全国的に注目された。