旧古河庭園100年 カミソリ外相、西郷どん一族… 激動の時代駆け抜けた邸宅と主たち 

旧古河庭園100年 カミソリ外相、西郷どん一族… 激動の時代駆け抜けた邸宅と主たち 
旧古河庭園100年 カミソリ外相、西郷どん一族… 激動の時代駆け抜けた邸宅と主たち 
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 鉱山経営で財をなした古河財閥当主の邸宅跡「旧古河庭園」が大正8(1919)年の完成から100年目を迎えた。大正建築の洋館と和洋の庭園が当時の栄華を伝えるが、現在では春と秋に約100種類200株が咲き誇る都内有数のバラの名所でもある。激動の近代日本を駆け抜けた邸と主らの物語を紹介する。

■カミソリ大臣

 庭園の名前から古河財閥の代々の当主宅と思いがちだが、その起源をさかのぼると、「カミソリ大臣」と呼ばれ日清戦争時に外相を務めた陸奥宗光(1844~97)邸に行き当たる。建築時期など詳細は不明だが、陸奥は明治30年、この邸宅で波乱の生涯を閉じたとされる。陸奥が親交の深かった古河財閥の創業者、市兵衛(1832~1903)に子がなかったため養子に出した次男、潤吉が2代目当主となったことで古河家の所有となった。

 「旧古河庭園」(北村信正著)や「古河虎之助伝」などによると、古河鉱業会社を設立するなど経営の近代化に尽力した潤吉だったが、健康が優れず独身のまま35歳で世を去ると、市兵衛56歳のときの実子、虎之助が3代目当主に就任。慶応普通部、米コロンビア大留学などの経歴を持つ虎之助は美男子としてのエピソードも豊富だ。中でも有名なのが「歌舞伎役者が隣に並びたがらない」というもの。妻は明治の元勲、西郷従道の娘、不二子で、大正4年、男爵を授与された際の2人の記念写真は「生きたひな人形のよう」とも形容された。

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