旧古河庭園100年 カミソリ外相、西郷どん一族… 激動の時代駆け抜けた邸宅と主たち 

■コンドル建築

 虎之助は陸奥邸の周囲の土地を買い足した約1万坪に、新たに洋館や庭園を整備した。このうち、大正6年に完成した洋館と洋風庭園は鹿鳴館で有名な「近代建築の父」、ジョサイア・コンドル(1852~1920)が設計した。2年後には京都の庭師、小川治兵衛(1860~1933)が日本庭園を手がけた。従って現在の古河庭園は、陸奥邸ではなく虎之助邸が起源ということになる。

 武蔵野台地の地形を生かし北側の小高い丘に洋館、斜面に洋風庭園、低地に日本庭園を配置した邸宅の完成時期は、日本が第一次世界大戦による空前の好景気に沸いた時代でもある。古河財閥も諸事業が急成長した時代でもあった。

 完成から4年後の12(1923)年、関東大震災が発生した。建物に被害はなかったものの、都心や下町から約2千人の避難者が押し寄せた。すると、虎之助は邸内を開放し医療団に負傷者の診療に当たらせたほか、約800坪の土地に、バラック住居86戸を建て避難者524人を収容した。妻、不二子も看護や避難女性の支援に尽力したと伝わる。関東大震災で財閥私邸が避難所として応急利用された例は少なくなかったが「邸内にバラックまで提供して社会奉仕したものは他に類例がない」と「旧古河庭園」は指摘する。

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