今、僕はこの原稿をヒマラヤで書いている。毎シーズン「当たり前」のように通い続けてきたヒマラヤ。しかし、気がつけば数年間離れていた。厄年とはよく言ったもので僕も「前」から「後」までどっぷりと漬かった。ブランクはその影響からであったが、その「ガタ」も全てが嫌なものではない。ヒマラヤの世界も「当たり前」になるといつしか新鮮味を失う。19歳で初めてヒマラヤに訪れたときの衝撃度合いが100ならばいつしかその半分の50にも満たなくなっていた。
しかし、この「望まなかったブランク」のおかげで今はヒマラヤと向き合えている。気持ちの勝負は日本をたつ前から始まっているもので、特にヒマラヤとなれば一抹の不安も過ぎる。自分だけが守られているはずはないと。この感覚こそが懐かしい。ヒマラヤ遠征が「当たり前」になっていた頃はこの感覚も自動スイッチで切り替わっていたが、今回は手動だった。
不安と向き合うこの気持ちこそがリアルな世界であり死とともに生を感じる瞬間でもある。ヒマラヤ遠征中はひたすら登る。右足を出したら次は左足。歩幅は60センチほどか。当たり前だがその繰り返しでしか前には進めない。はるかかなた、雲を突き破るかのような頂きに向かってこの60センチの繰り返しが果てしなく続く。登ることに疑問を抱いたら耐えられなくなる。大切なことは「疑問を捨てること」。疑問を抱けばキリがない。そして疑問という快楽のわなに捕まってしまう。