主張

憲法施行71年 「9条」では国民守れない 平和構築へ自衛隊明記せよ

 南北首脳会談の成果が演出されようと、北朝鮮危機がどう展開するかは予断を許さない。その中でもはっきりしていることがある。北朝鮮の核・弾道ミサイル戦力の脅威を取り除く上で、憲法9条は無力だという点だ。

 9条が国民を守っているのではない。北朝鮮危機がその証左であることに気づき、自らを守れる内容へと憲法を改めていかなければならない。第一歩となるのが、自衛隊の明記である。

 日米両国をはじめとする国際社会は、厳しい経済制裁と軍事的圧力をかけて、北朝鮮に核・ミサイル戦力の放棄を迫っている。

 ≪世界の現実直視したい≫

 その圧力に耐え切れず、金正恩朝鮮労働党委員長は微笑(ほほえ)み戦術に転じた。平和を乱す自国の行動を反省したからではない。トランプ米大統領との首脳会談が、真の平和をもたらすかは不透明だ。

 日米が「最大限の圧力」に努めてきた基礎には、集団的自衛権によって互いに守り合う強固な同盟関係がある。

 日本には「9条信奉者」とも呼ぶべき政党やその支持者たちが存在する。だが、彼らが北朝鮮危機を乗り越えるために建設的な提言や問題提起をした話は寡聞にして知らない。9条を掲げ、北朝鮮を説得する動きもみられない。だんまりを決め込んでいるのか。

 平和を守ろうと動いてきたのはむしろ、9条のもたらす制約や弊害に悩みながら、安全保障上の工夫をこらしてきた安倍晋三政権や自民党である。

 安保関連法の眼目は、憲法解釈の変更で可能になった集団的自衛権の限定行使容認である。これに基づき、北朝鮮の危機を目の当たりにしても、日米同盟が機能しているのは幸いである。

 自衛隊と米軍の共同訓練が増えている。「いざ鎌倉」の際に互いに守り合う関係になったことは、米軍による北朝鮮への圧力を増すことに寄与している。

 もし「集団的自衛権の限定行使は違憲だ」という「9条信奉者」の言い分に従えばどうなるか。日米同盟の対処力と抑止力は大幅に弱まり、北朝鮮は強面(こわもて)に戻るだろう。日本と世界の平和にとって、ゆゆしき事態である。

 9条が、日本の安全保障政策と論議の水準を高めることを妨げてきた弊害の大きさも考えたい。9条には、はき違えた平和主義の源になった面が小さくない。

 それは、軍事を正面から論ずることを忌避する風潮を助長してきた。日本の義務教育では、抑止力や同盟といった、安全保障の初歩的知識さえ教えていない。

 自衛隊に関し、最近の国会では日報問題ばかりが取り上げられた。北朝鮮危機のさなか、何を真っ先に論じるべきかは自明だ。安全保障を実際に担う政府側との認識の「格差」を解消しなければ、日本の未来は危うい。

 ≪安保論議の底上げ図れ≫

 「戦力の不保持」を定めた9条2項を削除し、軍の保持を認めることが9条改正のゴールである。だが、政治情勢を考えれば、一足飛びにはいかない。そこで、安倍首相が提案した自衛隊明記の方法を、自民党は改憲項目とした。

 これが実現すれば、憲法学者の間の自衛隊違憲論に終止符を打つことができるが、そのほかにも大きな意義がある。

 まず、日本全体の安全保障論議と意識の底上げが期待できる。国の大切な役割として防衛があることが明確になるからだ。

 平和のために国が防衛力を活用する場面はあり得る。必要なら仲間の国同士で守り合う。そういった世界の常識を、国民が共有することに資するだろう。もとより平和主義とは十分両立する。

 9条の下でとられている「専守防衛」は本土決戦にも等しいおかしな方針だ。今の憲法は自衛隊による拉致被害者の救出を阻んでいる。そうした問題に気づく人が増えれば政策転換にもつながる。

 もう一つの大きな意義は、国民投票の力である。中国や北朝鮮などの動向をみれば、自衛隊が国民を守る戦いに従事する可能性を否定できない時代になった。

 国民投票で憲法に自衛隊を明記することは、命をかけて日本を守っている自衛隊員を国民が支える意思表示となる。隊員の士気と日本の抑止力を高めるものだ。

 だからこそ、安倍首相と自民党は、憲法改正の実現に向けて歩みを止めてはならないのである。

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