維新を歩く

甲州・大善寺 近藤勇と板垣退助が激突 古戦場や錦絵、砲弾で往事しのぶ

 今は面影もないが、当時は沢の上流に橋が架かり、両側から両軍が対峙したのだという。

 曽祖父が「勝沼柏尾坂戦争記」の著者という、大善寺総代の野田真佐夫さん(76)は、「遊歩道の二股の奥あたりが旧幕府軍の本陣があったところと言われています。近藤は本陣を置くのに、徳川家の祈願所だった大善寺を避け、その東側にしたようです」と説明した。

 慶応4年1月3日、鳥羽・伏見の戦いから始まった戊辰戦争で旧幕府軍は敗走。大善寺山門の案内板には、《甲陽鎮撫隊は、新政府軍の東進を阻止する目的で甲府城の接収を命じられた。新政府軍の3千の一隊はわずか1日の差で甲府城に入城。近藤は3月5日に勝沼に布陣した。当初300名いた隊員は次々と脱走し、このときわずか121人だったという》とある。

 野田さんは、「勝敗は初めから決していました。新選組は近藤勇、土方歳三ら数人。旧幕府軍のほとんどが寄せ集めの兵で、劣勢とみて途中で逃げ出したと考えられます」と話す。

 幕末から明治に活躍した浮世絵師、月岡芳年(よしとし)の錦絵「勝沼駅近藤勇驍勇之図」(明治13年作)。大善寺東の本陣の近藤勇を描いたもので、現在、県立博物館(笛吹市御坂町成田)の常設展で展示されている(6月18日まで)。「近藤勇の後ろの建築物は、大善寺の西側の山門がモデルです」と野田さん。

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