文芸時評

5月号 早稲田大学教授・石原千秋 「二重思考」の果てに

 下北沢の本多劇場で、ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出『百年の秘密』(キューブ)の再演を観た。ケラさん(我が家ではこう呼んでいる)十八番(おはこ)の、文脈を外した発話で笑わせる「文脈外し」の小技もなく、珍しく人情もの(?)である。初演も観ているが、ロラン・バルトが「文学は再読しなければならない」という趣旨のことを言っているように、芝居も初演、再演と観るとまた味わい深い。ベイカー家の娘・ティルダの夫が妻の親友・コナと犯したまちがいを、100年の時を行きつ戻りつしながら明かしていく少し複雑な趣向だから、再演を観てはじめてわかることもあった。ティルダを演じる犬山イヌコは、幼女から老女までをみごとに演じ分けて、初演の時からあんなにうまかったかしらと感嘆もした。

 こんなことを書くのは、「受賞作なし」に終わった文学界新人賞の選評を読んだからだ。あらかじめ候補作を発表する芥川賞であれば、「受賞作なし」は失礼だし、歴史の記録としても受賞作を出すべきだと思うが、新人を世に送り出す新人賞は、深手を負わせない配慮からときにはこういうことがあってもいい。候補作を読んでいないからその当否はわからないが、選評は厳しいものばかりだ。もっとも厳しいのは東浩紀。5編の候補作すべてが、読者が苦労して読むのが当たり前と言わんばかりの「傲慢」な姿勢で書かれていると言うのである。この指摘はよくわかる。僕は、無名の大学院生が「『三四郎』論」などというタイトルで論文を発表したなら、それは謙虚なのではなく傲慢だと書いたことがあるからだ。『百年の秘密』の、時を行きつ戻りつする構成を楽しむのは、それがケラさんの芝居だからでもある。

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