正論5月号

シベリア出兵の美しき真実 ポーランド人を救った日本人 ジャーナリスト 井上和彦

 それぞれの主張は違えども、ピウスツキもドモフスキも、日露戦争をポーランド独立の好機と捉えて日本との連携を模索してそれぞれが来日して日本軍高官と協議している。

 1904年5月-7月の間日本に滞在したドモフスキは、参謀本部の児玉源太郎参謀本部次長および福島安正第二部長の両将に面会しており、両将の勧めでロシア情勢とポーランド問題とポーランド人の要望に関する覚書を作成し、さらに彼はポーランド人兵士に対するロシア軍からの離脱と日本軍への投降を呼びかける日本政府の声明文の作成にも携わった。ちなみにこのときのドモフスキの両将への面会を後押ししたのが、かの明石元二郎大佐だった。

 ここで注目すべきは、ピウスツキとドモフスキが共にポーランド人捕虜に対して特別に処遇してくれるよう日本に申し入れていることである。

 事実、捕虜は四国の松山に収容されたが、ポーランド兵はロシア人とは別の場所で特別待遇されている。彼らは捕虜でありながら、かなりの自由が認められていたようで外出時などには地元の人々から心温まるもてなしを受けたという。こうしたことに感銘を受けたポーランド人捕虜の日本への思いはいやが上にも高まってゆき、親日感情が醸成されたのだった。

 さらに明石大佐は、ポーランドの武装蜂起を支援し、武器購入のための資金をポーランドへ提供し続け、日露戦争の勝利と同時にポーランドの独立を助けたのである。

シベリアにいたからこそ

 駐日ポーランド大使館のウルシュラ・オスミツカ一等書記官はこう語る。

「当時のポーランド人は、日本はポーランドの味方だと感じていましたし、ユゼフ・ピウスツキなどは日本と一緒に戦いたいと考えていました。そして日露戦争中、ポーランド人は皆日本を応援していました。そして小さな日本が大きなロシアに勝ったことで、ポーランド人にとって日本はヒーローになったんです。それは後に日露戦争で活躍した日本軍人51人にポーランド政府から勲章が贈られていることがその証左です」

 なるほど、ピウスツキは、日本兵の士気の高さや将校の有能さを高く評価していたといい、ピウスツキが軍事功労勲章の委員会総裁だったときの1925年(大正14)、目覚ましい戦功を上げた日本軍将校51名にポーランドの勲章授与を決定(授与は1928年)している。

 さらにオスミツカ一等書記官はいう。

「第一次世界大戦後の1920年、今度はポーランドとロシアが戦争になったのですが、ピウスツキがモスクワまで攻め込んで勝利しました。そしてその後の第二次世界大戦でも、日本はドイツと同盟を結んでいるにもかかわらず、ポーランドと日本は水面下で繋がっており、情報分野で協力し合っていたんです。つまりポーランドと日本は、これまで一貫して友好であり続けてきたんです。…これからも両国はそうあってほしいですね」

 驚くべきことに、日本はドイツと同盟を結びながらも、ドイツによって占領されたポーランドと情勢を情報分野でずっと繋がっていたのである。

 知られざる日本とポーランドの交流秘話-両国の絆は日露戦争にさかのぼり、その後のシベリア出兵で結果として、765名のポーランド孤児を救援することができた。両国の感謝の応酬は今も続いている。

 2018(平成30)年、今年は、ポーランド孤児救出劇を生んだシベリア出兵から100年目にあたる。そして来年は、日本とヨーロッパ一の親日国家ポーランドとの国交樹立100年を迎える。

【参考文献】

◯兵藤長雄著『善意の架け橋-ポーランド魂とやまと心』(文藝春秋)

◯エヴァ・パワシュ・ルトコフスカ/アンジェイ・T・ロメオ著 柴理子訳『日本・ポーランド関係史』(彩流社)

◯『歴史街道』平成26年3月号(PHP研究所)

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