韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が軍事境界線のある板門店で会談した。
両氏が署名した共同宣言は、「南北は完全な非核化を通じて、核のない朝鮮半島を実現するという共通の目標を確認した」とうたった。年内に朝鮮戦争の終戦宣言をし、休戦協定を平和協定に転換するための会談を推進することでも合意した。
両氏が手を携えて歩くなど、融和の演出は十二分に行われたが、これで実質的にも大きな前進があったようにとらえるのは、大きな間違いである。
《「融和」にだまされるな》
安倍晋三首相は南北の共同宣言について、「前向きな動きと歓迎する」と語ったが「北朝鮮が具体的な行動を取ることを強く期待する」と、くぎを刺すことを忘れなかった。当然である。
金氏の言動は、先の中朝首脳会談の際の態度から大きく前進したわけではない。「朝鮮半島の非核化」をうたったことにも新味はない。とりわけ、北朝鮮の核放棄に向けた具体的な道筋が示されていない点を、冷静に受け止めなければならない。
さきの日米首脳会談では、核・生物・化学兵器とあらゆる弾道ミサイルの放棄を求めることを確認した。共同宣言がいう「非核化」がこれに合致するのかどうかは極めて疑わしい。
北朝鮮に核・ミサイル戦力などを放棄させられるかは、6月上旬までに開催予定の米朝首脳会談にかかっている。
変わらぬことは、日本をはじめとする国際社会がトランプ米大統領が強い交渉力をもって臨めるよう、北朝鮮に対する「最大限の圧力」をかけ続けなくてはならないという点である。
今回の会談は、その重要性を知らしめたものともいえよう。
満面の笑みで向き合う両氏の姿には違和感を覚えた。同じ朝鮮民族として、「分断」を終わらせたいとの思いはあるのだろう。外交儀礼の側面もある。
だが、金氏は実力者だった叔父の張成沢氏を粛清し、兄の金正男氏を化学兵器で暗殺させた。そのような人物に、文氏は何もなかったように親しげに接した。
北朝鮮は、日本人を含む多数の外国人を拉致し、国内では政治犯の虐待を続けている。
金氏は、未明や早朝が多かった弾道ミサイル発射を念頭に、文氏に「もうたたき起こしません」と中止を約束したという。
周辺国を脅しながら、それを冗談のように語るのは極めて不謹慎である。非核化に向け厳しい議論ができない南北首脳会談の限界を示したように思われる。
核・ミサイルの挑発を繰り返していた北朝鮮がなぜ、微笑(ほほえ)み外交に転じたのか。それは文氏の言う「金氏の英断」などではない。
金氏はそうせざるを得なかったにすぎない。国連安保理決議をはじめとする国際社会の制裁が効いている。北朝鮮は、制裁緩和や援助といった見返りを期待しているはずだ。
これまで何度もうそをついてきた北朝鮮が相手の交渉には、慎重さが何より大切だ。金氏の言動に過大な期待を抱いては危うい。
《拉致はどうなったのか》
今回の「非核化」の表明を過大に評価せず、実際の行動を基準に判断していくべきである。
文氏は、先に金氏が核実験と大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験中止を表明したことを非核化への一歩とたたえた。
だが、北朝鮮が自身を「核保有国」とする立場は、南北会談を経ても変わらなかった。北朝鮮の核・ミサイルの脅威をなくす話し合いは、トランプ氏にゆだねられることになる。
共同宣言で注意すべきは、年内に朝鮮戦争の終戦を宣言して、平和協定を結ぶとした点だ。南北に加え、米中両国の4者協議を推進するのだという。
在韓米軍は、在韓国連軍でもある。朝鮮戦争の終戦は、朝鮮半島の安全保障環境を根本から変えることになる。核・ミサイル問題と同様、日本の安全保障を左右する問題であり、日本が局外に置かれることは受け入れられない。
文氏が安倍首相に対して取り上げることを約束した拉致問題は、共同宣言でも共同会見でも触れられなかった。どうなっているのか。日米韓の連携という基本を文氏は忘れてはならない。