茨城県日立市ではまもなく、映画『ある町の高い煙突』の撮影が始まる。新田次郎の同名の小説(文春文庫)が原案である。「高い煙突」とは、旧日立鉱山の「大煙突」を指す。
▼かつて市のシンボルだった煙突は、高さ156メートル、大正3(1914)年の建設当時は世界一だった。平成5年に崩落し、3分の1の高さになる。植樹されたオオシマザクラに囲まれて、現在も使われている。
▼小説は実話を基にしている。主人公のモデルとなったのは、地元の旧家出身の関右馬允(うまのじょう)という人物だ。明治後期に開業した日立鉱山は、富国強兵を掲げる政府の下、銅の生産量を飛躍的に伸ばしていた。同時に精錬所から排出される大量の亜硫酸ガスは、農作物を枯らし、住民の健康をむしばんだ。
▼村のリーダーとなった関は郷土を守るため、粘り強く会社側と交渉していく。ガスを高所から拡散するしかない。鉱山の創業者である久原房之助は、気象観測の結果に基づき、社運を懸けて大煙突の建設を決意する。
▼新田が小説を発表した昭和40年代前半は、日本全国で公害問題が深刻化していた。その半世紀以上も前に難題を解決していた、夢のような話に引かれたという。日本人は公害については、克服しつつある。もっとも政治の世界では、目の前に課題が山積しているというのに、対立をあおる動きばかりが目立つ。会社と住民が立場の違いを乗り越えて、煙害に立ち向かった史実は、現在から見るとますます「夢のような話」である。
▼新田はあとがきでまず、日立市天気相談所所長だった山口秀男の名前を挙げている。気象庁職員時代の先輩にあたる新田に、大煙突をテーマに小説を書くよう勧めた。ちなみに、公明党の山口那津男代表の父親である。