産経抄

3月18日

 落語の名人とうたわれた初代三遊亭円朝(1839〜1900年)は赤貧の晩年を送った。見かねたひいき筋から「使ってくれ」と金を渡される場面が、松井今朝子さんの小説『円朝の女』にある。円朝は高座さながらの名調子で、見えを切った。

 ▼「芸人というもんは…終わりは大概よくないのが昔からの相場でして」と。不遇の中でも、粋を忘れぬ人として描かれている。実際もそうだったらしい。「金が性に合わねえんだ」がこの人の口癖だった。最後まで金運に見放されたまま、61年の生涯を閉じている。

 ▼多くの弟子を抱え、物いりだった円朝とは住む世界も時代も異なるものの、現代には「長生きリスク」という難題がある。長寿化で、老後の暮らしが経済的に行き詰まることを指す。人生100年の時代を見越せば、名人の困窮を人ごとで済ますわけにもいかない。

 ▼資産運用会社が全国の高齢者に行った調査によると、60代の4割弱が世帯の資産総額を「わからない」と答えた。巷間(こうかん)、老後に必要な蓄えは「数千万円」ともいわれる。その手の数字を、日頃は眉につばを塗って聞くことの多い身だが、考えさせられることも多い。

 ▼老後資金の不足を支出削減や年金で補うと答えた人が多く、「資産運用への認識は不十分」とする専門家の声も記事にあった。運用の勧めに乗るわけではないものの、賢い立ち回りは必要らしい。蓄え、殖やし、健康で働き続ける。現役世代の悩み多き世になった。

 ▼松井さんの小説では、ひいき筋が円朝に渡したのは藤原鎌足の描かれた「百円札が三十枚」とある。福沢諭吉に換算すれば、向こう数年は心穏やかに過ごせる額だろう。老後は長い。「金が性に…」と強がらず、仲良く付き合いたいものである。

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