「私は二元論って信じない。不安が解消されたら安心するかっていうとそうじゃないんです。二元論はひとつのフィクションにすぎない」
福島県の中通り、郡山市に近い三春町に住む僧侶で作家の玄侑宗久さん(61)は、東京電力福島第1原発事故による放射能汚染がもたらした分断について、こう振り返る。被曝(ひばく)を恐れて避難した人、残って生活することにした人、どちらも事故直後の混乱した中で判断を迫られた、と。
「じっくり勉強する時間もなかったわけですが、次第に落ち着いた見方もできるようになっていく。でも、出た人も残った人も、やっぱり自分の判断は間違ってなかったと思いたい。心理学的には確認バイアスといいますが、初期の判断を肯定したいわけです」
対話はなかなか成立せず、分断も解消されない。震災の記憶が薄れていく中で、一部の対立は固定化してしまったようにさえ見える。玄侑さんが震災7年目に刊行した小説『竹林精舎』(朝日新聞出版)は、福島に移住する若者を主人公にした青春恋愛物語。原子力災害の傷痕が、登場人物の会話にいくつも盛り込まれている。
福島に子供を連れて帰る親に「人殺し」とメールが届く。自主避難者が「福島の米も野菜も危険だから食べないで」というチラシを配る。県外の客が離れてしまった農家。子育て世代とその親世代の別居。夫婦の離婚…。
そうした対立と、どう向き合えばいいのか。福島県の寺に招かれ、新米の住職として暮らし始める主人公は、こうアドバイスされる。〈大事なのは、いずれにも与(くみ)しないこと〉