追悼

金子兜太さん 現代俳句史でんと存在 俳人坪内稔典

 実は、私は少し困っていた。モーロクしかかったとき、俳人は新しい言葉を得てすごい句を作ることがある、というのが私の仮説だった。だが、兜太さんの言動は明瞭、モーロクの気配がいっこうになかった。

 「去年今年生きもの我や尿瓶(しびん)愛す」

 「河馬(かば)の坪稔尿瓶のわれやお正月」

 右は2010年に発表した句。兜太さんは万物に命を認めるアニミズムを発想の基本にしたが、尿瓶にも命を感じている。次の句の「坪稔(ツボネン)」は私をさす。彼はなぜか私をツボネンと呼んだ。ツボネンの愛する河馬、兜太の愛する尿瓶は同格だ、というのがこの句である。

 兜太さんは母校の小学校で授業をした際、尿瓶を持ち込み、小学生にさわらせた。そのようすはテレビで放映された。

 「山枯れて女子小学生尿瓶覗く」

 「小学生尿瓶透かして枯山見る」

 「われの尿瓶を嗅ぎ捨てにして無礼かな」

 これらはその日を詠んだ作。小学生と尿瓶を介して命を通わせる兜太さんはすてきだ。もっとも、尿瓶を無視する無礼な子もいたし、眉をひそめた大人もいたのだろう。でも、尿瓶もまた命を持つ自分の同類だという見方を彼は堂々と押し通した。こういう兜太さんは、もしかしたらモーロク的生き物だったのではないか。