文芸時評

3月号 早稲田大学教授・石原千秋 五輪は敗者のためにもある

石原千秋さん
石原千秋さん

 平昌オリンピックでは、それまでずいぶん苦労したと伝えられる日本選手がメダルを手にしてよかった。

 印象に残ったのは、金メダリストだけではなく、敗者の振る舞いだった。小平奈緒選手が、3連覇を逃して涙を流す韓国の李相花(イ・サンファ)選手に歩み寄って抱きかかえる姿は、勝者の振る舞いとしてみごとだった。それを受け入れた李選手もまた同じようにみごとだった。羽生結弦選手は、同じコーチの元で練習してきたハビエル・フェルナンデス選手に「ハビにチャンピオンになってほしい気持ちがあった」と語りかけると、「王者は一人だけ」と答えたという。金メダリストを際立たせるのは、こうした敗者の振る舞いだったと思う。オリンピックは勝者のためにあるのとまったく同じ重みで、敗者のためにもある。

 これも日本が金メダルを取ったスピードスケートのパシュートは面白い。風よけになる先頭の選手の負担をある程度平均化するために、順番を入れ替えながら3人の選手が一列になって滑る。速さを競う点では他の競技と同じだが、当然のことながらそのチームのタイムは最後尾の選手で決まる。つまり、この競技の思想は走力の劣る選手をかばうところにあるわけだ。それがはっきり競技の形となっているところには特別な意味があるように思う。

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