坂東武士の系譜・第3部プロローグ

擾乱の時代 足利尊氏の肖像「朝敵」のイメージを超えて

 ただ、本田さんは「この絵は原本ではなく写し。原本が別にあった」と判断した。円覚寺50世、伯英(はくえい)悳儁(とくしゅん)(?〜1403年)が書いたとされる画面上の文章は他の古文書と比べると自筆には見えず、文中に年号の間違いもある。肖像も、着物のすそは表裏で白黒が逆で、天皇・皇后像に用いられるべき繧繝縁(うんげんべり)の上畳に座っている武将像は皇室の権威が失墜した室町時代後期以降の特徴。本田さんは、原本は14世紀末ごろ、写しは約50年以上後の15世紀半ば頃の制作とみている。それでも中世に描かれた尊氏肖像画の発見は2例目だ。

 一般的に尊氏の顔としては「騎馬武者像」(京都国立博物館蔵、国重要文化財)がよく知られてきた。県立博物館には、かなり忠実に再現した模本がある。長く教科書にも掲載されてきたが、戦前から別人と主張する学者もいた。

 兜(かぶと)もなく、ざんばら髪、背中の矢は1本折れており、抜き身の太刀を肩に担ぐ。敗走場面ともみられるが、鋭い眼光は戦闘の意思を捨てたようには見えず、何ともふてぶてしい。「梅松論」に書かれた敗走場面を想像させることや、足利氏ゆかりの家に伝わったことで、尊氏像とした学者がいた。

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