ようやく背負ってきた重荷を下ろせた。金メダル最有力候補として臨み、4位に沈んだソチ五輪。以来4年間、常に胸にあったのは「あの悔しさを晴らしたい」という思いだった。
金メダルには届かなかったが、「最後の最後に一番良いジャンプができた。記憶に残る、競技人生の糧になる貴重な経験をさせていただいた」。平昌の空を舞った高梨沙羅(21)は、堂々の銅メダルに、納得の笑みを浮かべた。
毎年1メートル以上の積雪のある人口約4000人の街、北海道上川町で小学2年からジャンプを始めた。父の寛也さんは元ジャンパー、4つ上の兄、寛大さんも飛んでいた。そんな中で憧れたのは女子ジャンプの草分け的存在で、現代表コーチの山田いずみさんだった。当時は男子の大会に交じって飛んでいた時代、更衣室はなく着替えはもっぱらトイレだった。そんな話を聞くたびに「いまがあるのは先輩たちの苦労があったから」という感謝の念と、「女子ジャンプの発展に貢献したい」という責任感が育まれていった。