坂東武士の系譜・第2部(18)

足利義氏 三河に基盤、足利氏隆盛の基礎

【坂東武士の系譜・第2部(18)】足利義氏 三河に基盤、足利氏隆盛の基礎
【坂東武士の系譜・第2部(18)】足利義氏 三河に基盤、足利氏隆盛の基礎
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 足利義兼の三男、義氏は源姓足利氏3代当主にして豪勇な武士だった。観音寺(日光市上鉢石町)の住職で、足利氏を研究してきた千田孝明(こうみょう)さんは「足利氏飛躍のキーマン」と強調する。

 和田義盛の乱(1213年)では義盛の子で華々しく奮戦した猛将、朝比奈(朝夷名(あさひな))義秀と幕府政所の庭先で一騎打ちに及び、互いに譲らず、称賛を浴びたという。承久の乱(1221年)では北条時房、泰時と共に東海道の大将軍として京都へ出陣、宇治川での戦いで戦功を挙げた。

 上総国(千葉県)、三河国(愛知県)の守護職に任じられ、「足利氏は義氏の時代に実力、経済力を伸ばした。特に大動脈の東海道にある三河を押さえたのが発展の転換点」と千田さん。長男の長氏(1211〜90年)を始祖とする吉良氏や仁木、細川、今川、一色ら有力一族の拠点、出発点ともなり、三河は足利に次ぐ第2の根拠地として機能した。鎌倉と京を結ぶ東西交通の要衝であり、両地点から近くて遠い絶妙な位置。後に鎌倉幕府を倒した子孫、足利尊氏も地の利を活用することになる、

 足利氏は代々の戦功で東北や西国にも所領を得て、鎌倉幕府屈指の有力御家人として威勢を誇る。義兼が土台を築き、義氏が大きく発展させた。若くして家督を継ぐが、政局は難しい時代だった。源頼朝死後、執権・北条氏の政敵が次々と粛清される。いずれも有力御家人だった梶原景時、比企能員(よしかず)、畠山重忠、和田義盛らだ。将軍も頼朝直系が断絶した。

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