話の肖像画

元プロレスラー ザ・デストロイヤー(5) 心の底から日本への愛

ザ・デストロイヤーさん(黒瀬悦成撮影)
ザ・デストロイヤーさん(黒瀬悦成撮影)

(4)へ戻る

〈1993年にプロレスラーを完全引退した。地元の米ニューヨーク州アクロンでアマチュアスポーツ指導に専念してからも、日本との交流は続いた〉

私は、41年に日本が真珠湾を攻撃したときは既に物心ついていました。ですから初来日のときは、かつての敵国である日本の人々が米国人の私に対してどのような反応を示すのか、気がかりでもありました。でも最初の訪日が終わったとき、私は日本の人々から愛されているな、と感じました。日本でレスリングをすることは非常に心地良かった。そして、行く先々でたくさんの人たちに出会い、今は日本に対して心底からの愛情を抱いています。

米国の子供たちにも私のような体験をしてもらおうと、水泳とレスリングのチームをそれぞれ率いて日本に遠征したこともあります。

また、レスリングを通じた青少年育成や国際交流の活動を続けていきたいという私の考えに共鳴してくれた日本の友人たちが約10年前、NPO法人「フィギュアフォークラブ」(本多尚基監督)の設立に奔走してくれました。クラブの名称は、私の必殺技である足4の字固めの英語名「フィギュアフォー・レッグロック」からきています。現在はクラブの顧問を務めていますが、若者らがレスリングを通じて体や精神を鍛えてくれるのは何よりの喜びです。

〈日本の中でも格別の思いを寄せるのは、東京都港区の麻布十番周辺だ〉

港区では私の名前を冠した「デストロイヤー杯港区レスリング大会」(港区レスリング協会主催)が毎年開かれています。第1回大会の参加者は12人でしたが、10回目となる2017年は600人が参加しました。昨年は出席できませんでしたが、今年はぜひ顔を出したいと思います。

麻布十番につながりができたのは、日本で私の面倒をみてくれた大恩人の実業家、谷村光昭氏(故人)の事務所があったためです。住まいも麻布十番に近い三ノ橋にしました。麻布十番にはパレス・レストラン(現在は閉店)という行きつけの店があって、そこで巡業や遠征のスケジュール作成をしていたので、私の居所を知りたいスポーツ紙の記者たちが店のマスターによく聞きに来たそうです。