正論

学問と自己錬磨への熾烈な欲望なき民族に堕した日本 吉田松陰の「リアリズム」に覚醒せよ 文芸評論家・小川榮太郎

文芸評論家・小川榮太郎氏(飯田英男撮影)
文芸評論家・小川榮太郎氏(飯田英男撮影)

 松陰を慕ひ、松下村塾に言及する人は今尚(なお)多い。しかし松陰の何に人は惹(ひ)かれてゐるのか。下田に停泊中の黒船に乗り込む勇気、罪せられても恐れず直言し、行動する勇気、安政の大獄に婁(つな)がれた純情苛烈さに対してであらうか。

 松陰の純粋さは際立つてゐる。が、それは青年の純情一般とは寧(むし)ろ対極的なものだ。無数に残された著述と書簡は、生涯の猛烈な学問と綿密極まる政策・工作上の検討、多くの人との対話を通じた自己修正の稀有(けう)な記録だつた。

 この人ほど、己の存在を活(い)かすために死を直視し続けた人はゐない。松陰の生も死も、極度に練りぬかれた思想表現の苛烈さと冷徹さを併せ持つ。その意味で、松陰の純情は思想によつて練り続けられた純情であり、その死は思想によつて練り込まれた死であつた。

≪単純な排外主義につながらない≫

 『吉田松陰日録』といふ340ページに及ぶ冊子がある(松風会編)。文字通り詳細な日録だが、その圧倒的な行動・読書・執筆の分量に目を疑はない読者はゐないだらう。20代の松陰は東北、江戸、九州に遊学するが、遊学先で100人内外の知識人と会ひ、書籍を借り、摘録を重ねてゐる。

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