竹島を考える

中国がモデルとする韓国の竹島略奪史 尖閣・漁船衝突の船長逮捕では日本人拘束で報復 

中国の公船は尖閣諸島周辺に出没して、領海を侵犯している。中国が強硬なのは、島根県が2005年3月に「竹島の日」条例を制定したその2カ月後、ロシアが北方領土問題を「第二次大戦の結果」と公言し、中露の協調体制ができているからだ。これは、未解決の竹島問題が東アジアのパワーバランスにも影響を与えているということである。

戦略的な対応ができぬ日本政府

島根県が「竹島の日」条例を制定しようとした際、それを阻止しようとしたのは日本政府である。一地方自治体の島根県が、政府に抗(あらが)って竹島の「領土権確立」を求めたのは、日本の国家主権が侵され続けているからである。

その島根県は、今も政府に陳情して竹島問題の解決を求めている。日本には、韓国の「東北アジア歴史財団」のような実戦的な機関がなく、戦略的な対応ができないからだ。

その弊害は北方領土問題にも現れている。日本では近年、北方領土での経済協力を通じて、それを領土返還に繋(つな)げようとしている。

だが、歴史の教訓から学んでおくことがある。それは北方領土が日本の領土となる1850年代の国際情勢だ。

ロシアが再び活路を求めた極東

当時、帝政ロシアは1853年から始まるクリミア戦争で劣勢に立たされていた。そこで活路を極東に見いだし、日本と結んだのが1855年の「下田条約」である。それで得撫(うるっぷ)島と択捉(えとろふ)島の間に国境線を画定し、清朝とは「●(=王へんに愛)琿(あいぐん)条約」と「北京条約」を締結して、沿海州を獲得した。

ロシアの南下政策はそれを機に本格化。1904年の日露戦争は、その帰結である。帝政ロシアはその後、旧ソ連によって倒されるが、南下政策は、北朝鮮による1950年の韓国侵攻に繋がっている。歴史は繰り返す。

2014年、クリミア半島に侵攻したロシアは、欧米諸国から経済制裁を受けた。これは160年ほど前、クリミア戦争の際に、オスマントルコと英仏に南下を阻まれたのと似た状況である。ロシアが再び活路を求めた先は極東だった。

拙速な改憲は日本批判の口実を与えるだけ

日本政府は、北方領土での経済協力に期待しているようだが、それは危うい。島根県の「竹島の日」条例を機に中韓が反発すると、ロシアは北方領土を返還する意思がないことを明言した。当時のメドベージェフ大統領は2008年10月、韓国の李明博大統領と極東の共同開発に同意して、2010年には大統領として初めて国後(くなしり)島に上陸している。

さらに昨年12月20日、韓国とロシアは北方領土問題と竹島問題で共闘するための国際会議をサハリンで開催し、新たな潮流が生まれている。

日本は国家主権が侵され続ける状況の中で、改憲か護憲かの憲法論議に余念がない。だが、中国が尖閣諸島周辺で挑発行為を続けるのは、韓国の妄動を奇貨とするからである。韓国流の歴史認識が蔓延(まんえん)する現状で改憲を急ぐことは、「軍国主義の復活」として日本批判の口実を与えるだけである。

それはロシアにとっても同じで、韓国流の歴史認識では、北方領土も日露戦争の過程で日本が侵奪したことになるからだ。この状況で、北方領土の経済協力に前のめりになることは、賢明ではない。外交には手順がある。

清朝の失敗に似た現行の憲法論議

その点で、現行の憲法論議を見ていると、理念だけで戊戌変法を実現させようとして失敗した清朝の改革派とも近いものを感じる。戊戌変法は、明治維新をモデルとしたが、明治維新は、地方分権的な封建制から中央集権的な国家体制に変換する自前の経験が伴っていた。

だが、憲法論議をする国会議員の諸先生には、その経験がない。中でもマニフェストを声高に掲げ、理論偏重の欠陥を露呈したのは民主党政権である。民主党政権の主流は、松下政経塾出身者が占めていたが、松下政経塾は明治維新の志士とは似て非なるものである。明治維新の志士たちは脱藩して日本を考えたが、松下政経塾が誕生して以後、流行となった政治塾では、初めから国政の場に出ようとしているからだ。

経営の神様、松下幸之助翁は、自ら経験した丁稚(でっち)時代の苦労を塾生から奪い、安易に国会議員となる道筋を作ってしまった。それは維新ではなく、江戸幕府に仕官するのと同じである。

竹島問題の解決後でも遅くない憲法論議

清朝の戊戌変法も朝鮮の甲申政変も成功しなかったのは、法律を整え、制度を造ることが改革だと思い込んだからである。

中国の台頭、北朝鮮による核開発やミサイル実験を機に、日本では日本国憲法を「与えられた憲法だ」と声高に叫び、改憲を急いでいる。だが「護憲だ」「改憲だ」と騒ぐ国会も、敗戦後に与えられた議会民主主義であることを忘れてはならない。

改憲、護憲の憲法論議は、竹島問題を解決して、自前の議会民主主義を確立させた後からでも遅くない。短兵急な改憲は、日本封じ込めのための日本国憲法の欺瞞(ぎまん)を明らかにしないまま、その痕跡を永遠に葬ってしまう恐れがある。

(下條正男・拓殖大教授)

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