竹島を考える

中国がモデルとする韓国の竹島略奪史 尖閣・漁船衝突の船長逮捕では日本人拘束で報復 

2010年の尖閣諸島沖・中国漁船衝突事件では、衝突の瞬間とみられる動画がユーチューブで流れた
2010年の尖閣諸島沖・中国漁船衝突事件では、衝突の瞬間とみられる動画がユーチューブで流れた

今年は、清朝の「戊戌(ぼじゅつ)変法」が起こって120年になる。戊戌変法は、日清戦争に敗れた清朝が1898年、日本の明治維新に倣って政治改革を断行し、立憲君主制の導入を図ったものだが、維新は100日で失敗。清朝はその後、辛亥(しんがい)革命で倒され、1912年には中華民国が成立している。だが中華民国の国民党も、1949年に建国した中華人民共和国に追われて台湾に走った。

中国の増長、朝鮮半島の妄動の責任は日本にも

明治維新は、清朝の戊戌変法だけでなく、朝鮮の「甲申(こうしん)政変」のモデルとされ、ベトナムの「東遊運動」にも大きな影響を与えたが、いずれも維新は実現できなかった。

今日、日本は中華人民共和国の膨張を前にして、護憲か改憲か、憲法論議が百家争鳴している。一方、国政を預かる国会議員らは離合集散を繰り返し、国政選挙のたびに新しい政党が誕生しては消えている。

折しも北朝鮮では、金正恩(キム・ジョンウン)体制を維持するための核開発とミサイル発射実験を行い、軍事的緊張が高まっている。韓国は、その間も慰安婦問題や徴用工問題を歴史問題とし、相変わらず日本に謝罪と反省を求めては、国際社会を舞台に日本批判を続けている。

だが、中国が増長し、韓国と北朝鮮が妄動する原因の一端は、日本にもある。

尖閣奪取の時を眈々と狙っていた中国

中国が「核心的利益」と称して尖閣諸島周辺や南沙諸島と西沙諸島に侵入したのは、民主党政権時代の拙速な対応に起因するからだ。

その発端は2010年9月7日、中国漁船が故意に日本の海上保安庁の巡視船に追突し、同庁が中国漁船の船長を公務執行妨害で逮捕した事件にある。

尖閣諸島の問題は、沖縄返還が決まった1971年、中国と台湾がその領有権を主張したことから始まる。その後、中国政府は1992年、「領海法」を定めて尖閣諸島を中国領としていた。中国としては、虎視眈々(たんたん)と尖閣諸島奪取の時を狙っていたのである。

船長が逮捕されると、中国政府は報復措置としてレアアースの輸出規制を行い、軍事区域で写真撮影をした建設会社の日本人社員4人を拘束した。民主党政権は、これに船長の釈放で応じたが、やがて中国は南沙諸島に人工島を建設し、それを「核心的利益」とした。

中国がモデルとしたのは韓国の竹島侵奪史

尖閣問題が浮上し、中国側がモデルとしたのは、韓国による竹島侵奪の歴史である。それは1954年、竹島に韓国の民間人が上陸し、その後、同国の海洋警備隊が駐屯して、不法占拠を続ける歴史である。ただ竹島問題に関しては、民主党政権ばかりを責められない。その解決を怠った歴代の自民党政権にも責任があるからだ。

その自民党政権は今、改憲を目指している。だが改憲すれば竹島が返還され、中国の膨張主義を阻止できるのだろうか。