福銀に「歴史の広場」 140年のルーツたどる

 福岡銀行は、2300点もの蔵書を集めた展示施設「歴史の広場」を、持ち株会社であるふくおかFGの本社ビル(福岡市中央区)に作った。福銀の創業140年のルーツが分かり、日本の金融史をひもとく上でも貴重な資料がそろう。

 福銀は明治10(1877)年、九州初の銀行として設立された第十七国立銀行の流れをくむ。昭和20年、福岡県下の十七、筑邦、嘉穂、福岡貯蓄の4銀行を合併して生まれた。戦後は九州一円をカバーし、金融サービスを提供する銀行に成長した。

 平成19年にふくおかFGができた際、福銀本店の地下に眠っていた大量の段ボール箱から、さきの大戦で焼失を免れた資料などが大量に見つかった。

 3年ほど前、谷正明会長(74)から「創業140年に向け整理した方がいい」と鶴の一声が飛んだ。

 福銀営業戦略部の真田高充部長代理(49)らは早速、九州大学附属図書館付設記録資料館の宮地英敏准教授(43)(日本経済史)らと、時代区分などをもとに分類を始めた。

 宮地氏は「取引先とのやり取りなどをもともと良質な紙に残していたのが奏功したようだ」と資料が色あせていないのに感心した。

 昨年秋、ふくおかFG本社ビル2階に「歴史の広場」はできた。展示スペースに並ぶガラスケースの一つには、昭和19年、「炭鉱王」で知られる実業家、伊藤伝右衛門(1861〜1947)が、嘉穂銀行の頭取として十七銀行などと調整し、4銀行で福銀誕生のために直筆署名した契約書の原本が展示されている。

 宮地氏が目を見張ったのは、大正12(1923)年、十七銀行の大株主だった黒田家が当時、経営難にあった十七銀行と福岡銀行(現在の福銀とは別組織)とが合併する条件として、安田銀行との合併を決議した、という文書だ。

 決議はしたが、黒田家以外の株主の反対で安田銀行との合併話はなくなり、十七銀行の独立は守られたという。宮地氏は「黒田家と十七銀行の関係はあまり知られておらず、金融史をたどる上でも第一級の資料だ」と指摘する。

 昭和50年の福銀入行社員向けに、8ミリフィルムで撮影した会社案内の映像も見られる。

 その先にある一室に蔵書が大量に並ぶ。「福岡銀行の源流 十七銀行」「福岡銀行の礎となった 様々(さまざま)な銀行」といったコーナーごとに丁寧にまとめられた。

 安田銀行が、金融大恐慌にどう対応すべきか十七銀行に指示を出したことを記した手紙や十七銀行本店の実測図面なども見られる。

 福銀の真田氏は「今後は戦後の各支店の動きや、制服の変遷もたどってみたい」と語る。

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