正論

アジアに求められる先人の知恵 胡耀邦氏はチベット、ウイグルなど「連邦制」を模索していた 文化人類学者・静岡大学教授・楊海英

 胡氏はチベットに次いで新疆ウイグル自治区を訪問した。新疆の本来の名称は「東トルキスタン」で、トルコ系の民族ウイグル人の生来の故郷を意味する国名だ。

 49年に人民解放軍がこの地を占拠した時点で、中国人はわずか28万人(現在約880万人)。しかし北京は内地から農民と犯罪者、移民団を次々と送り込み、生産建設兵団と称する屯田兵を展開。ウイグル人は放逐され、先祖が開拓したオアシスも屯田兵の手に落ちた。ウイグル人もあの手この手で抵抗を始めていたが、胡氏はそのような新疆から生産兵団を撤退させ、ウイグル人に自治権を与えようと現地で講演したそうだ。

 チベットと新疆の次は内モンゴル自治区を訪問する予定だ、と当時のモンゴル人たちはそう語っていた。というのは、66年から勃発した文化大革命中に内モンゴルでは大量虐殺が発生し、自治権が完全に剥奪されていたからだ。

 人口約150万人のモンゴル人のうち、34万6000人が逮捕、2万7900人が殺害され、12万人が暴力を受けて障害者となった。内モンゴル自治区を含め、中国全土における文化大革命中の被害者たちの名誉回復を行ったのも、胡氏の努力が大きかった。モンゴル人の草原に侵入した中国人を、彼らの本国である万里の長城の南に帰還させてほしい、と胡氏の指導力に夢を膨らませていた。