産経抄

人が勝負を裁くからこその妙味 1月9日

 プロテニスの国際大会を観戦したことのある人なら、「チャレンジシステム」をご存じだろう。選手は主審の判定に不満があると、電子審判システムに判断をゆだねる。昨年秋に開催された若手のトップ選手による大会では、このシステムが「アウト」のコールをすべて行った。

 ▼体操界でも、審判の採点を支援するシステムの開発が進んでいる。一流選手の技術が高速かつ複雑化するなか、審判の目が追いつかなくなった。そこで活用するのが、3Dレーザーセンサーや人工知能(AI)の技術である。東京五輪での実用化を目指しているそうだ。

 ▼意外にも、文明の利器の取り入れに熱心な大相撲はどうだろう。ビデオ判定を導入したのは昭和44(1969)年である。プロ野球よりも40年以上も早かった。もっとも、いくら技術が進んでも、軍配を上げる行司と土俵下の審判の姿がなくなることはあり得ない。

 ▼そのビデオ判定もなかった、33年秋場所初日の出来事である。横綱栃錦と北の洋(なだ)の一番。2人は激しくもつれて土俵下に落ちた。行司の第19代式守伊之助は、栃錦に軍配を上げた。しかし物言いがつき、行司差し違えで北の洋の勝ちとなった。

 ▼「おら、いやだい!」。伊之助は声を張り上げ、土俵を手で何度もたたいて悔しがった。相撲ファンの間で「ひげの伊之助 涙の抗議」として語り継がれるエピソードである。「ときおりこういうハプニングがあって、勝負よりこのほうがよほど見物のときがある」。テレビで見ていた作家の色川武大(たけひろ)さんが、エッセーに書いていた。

 ▼勝負を裁くのが人だからこその、妙味ともいえる。何より、第40代式守伊之助による昨今のセクハラ騒動に比べて、人を笑顔にするところがいい。

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