話の肖像画

公明党元代表・神崎武法(2)大先輩が「大きな嘘はつくな」

衆院選で支持者らに握手を求める=昭和58年12月(公明党提供)
衆院選で支持者らに握手を求める=昭和58年12月(公明党提供)

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〈司法修習を終えて検事に任官。昭和51年の北海道庁爆破事件といった爆弾テロ事件を多く担当した。45年に発生したよど号ハイジャック事件の関連捜査も行った〉

集中力はあるんで短期で猛烈に頭に入るんだけど忘れるのも早くて、司法研修所で苦労しました。特に民事関係ね。法律が血や肉になってなかったんですね。テロ事件の関係者に話を聞くのは大変でした。じっくり腰を据えて、雑談しながら徐々にほぐしていくしかない。それでしゃべり出すこともあるし、しゃべらないこともある。よど号事件の奥平純三容疑者を東京地検で調べたこともありました。彼は52年のダッカ日航機ハイジャック事件で日本赤軍に奪還されてしまった。当時は外務省に出向中で、複雑な思いでニュースを見たのを覚えています。

検事は事件ごとにその分野の専門家にならないといけないんです。爆発しない爆弾の供述をされては意味がないでしょう。ヤクザ相手なら拳銃のこと、花札賭博のことなど知識を得て、何でも分かっているぞという顔をして臨む。沖縄では、道路陥没の事件を担当したので土圧の勉強をしました。この経験は後に政治家になって役に立ちました。

変わった案件では、東京地検時代の「日活ロマンポルノ事件」に関わった女優さんを調べたこともあります。話を聞いているうちに女優さんから「あんた、気に入った。今度一緒に飲みましょうよ」と言われたこともあります。「いや、そういうわけにはいきません」と丁重にお断りしましたけどもね。

〈検事として経験を積んだ38歳のとき、公明党から国政進出を打診される〉

公明党から昭和56年12月に衆院選に出ないかと打診を受けました。当時、公明党は野党でしたから、検察に迷惑がかからないかと懸念しました。

検事になるときの面接官で、当時最高検の次長検事の伊藤栄樹さんにご相談に行ったんですよ。ご自宅にうかがってみると、待ち構えており、「おう、面白いじゃないか。やったらいいじゃないか」とバンと背中を押してくれた。伊藤さんは後に検事総長になった方ですが、「政治家になると、小さな嘘をつかざるをえないときがあるかもしれないが、大きな嘘はつくな」とアドバイスをいただきました。それから「勉強しろ」と。「各省庁が出している白書をよく読むことが大事だ。省庁が何を考えているかよく分かる。一通り読め」といわれました。

〈一方で弱ったことも起きた〉

どの選挙区から出るか決まってもいないうちに、共同通信が「公明党の委員長候補の衆院選出馬が内定した」という記事を流したんですよ。私の名前が出ていました。もう、びっくりしました。

後で聞いたら、伊藤さんが「竹入(義勝委員長)に会って『神崎を出馬させるからには必ず将来は委員長にしてくれるんだな』と聞いたら『大丈夫だ』と答えた。確約を取った」というようなことで、親しい記者にリークしちゃったみたいなんです。

心配して聞いてくれたのかどうか分からないけれど、こっちはありがた迷惑で…。だって、新しい分野に飛び込んで、1年生議員として先輩の中でもまれながらやっていかなければならないのにね、当選する前から委員長候補だなんていわれては党内でもいい感じはしないでしょう。あれには困りましたね。(聞き手 佐々木美恵)

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