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赤い腹見せる空母、沈みながら機関砲撃ち続ける巡洋艦…日本海軍の最後呉軍港空襲 元海軍兵が見た地獄絵図

世界が恐れた空母「鳳翔」の真意!?

 山本さんは大正15年、三重県生まれ。日本海軍に憧れて、山口県の防府海軍通信学校に入学し、通信兵となるための教育を受けた。

 「連日、カッターを漕ぐ実技や、座学では通信のためのモールス信号の授業など厳しい訓練が続きました」と山本さんは振り返る。

 「昭和19年秋の卒業が決まると、いよいよ自分たちが乗艦する軍艦が発表されました。私は当初は空母『瑞鶴(ずいかく)』に乗艦する予定だったのですが、急遽(きゅうきょ)、『鳳翔』に乗艦するよう命じられました」

 19年10月、レイテ沖海戦で日本海軍は壊滅的な打撃を受ける。山本さんが乗艦する予定だった「瑞鶴」も、レイテ沖海戦の中のエンガノ岬沖海戦で沈没したのだ。

 「鳳翔」は大正11(1922)年に竣工された日本海軍初の空母だった。

 「実は海軍では鬼の日向か、地獄の鳳翔かと異名をとり、恐れられた軍艦でした。歴史と伝統を誇る日本海軍の中でも最古参といえる鳳翔は、世界の海軍軍人にも鳴り響く厳しい訓練、軍律で知られた軍艦だったのです」と山本さんは苦笑した。

為す術のない撃沈

 20年7月28日。その日、通信兵の山本さんは三交代制の当番として鳳翔に乗艦していた。

 「それは突然でした。米軍機による空襲が始まったのです。上空を覆い隠すように何百機もの米軍機の機影が広がり、空一面にもうもうと煙と炎が立ちこめていきました。そして海面に無数の水柱が噴き上げていきました」

 山本さんの眼前で、呉軍港に停泊していた戦艦「榛名」や「伊勢」、「日向」、そして空母「天城」などが次々と米軍機の爆撃により大破、横倒しになりながら沈んでいったという。

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