産経抄

情に生きた星野仙一さんの哲学 1月7日

 阪神の監督に就いて間もない星野仙一さんが、球場の整備係を呼び出した。高知で行われた16年前の春季キャンプである。苦情か怒声か、世に聞こえた「鉄拳」か。身を硬くした担当者を、新監督は溶け落ちそうな笑みで迎え、拍子抜けさせている。

 ▼本拠地の甲子園と同じ芝だな。土の感触も似ている。「よくやった」と。同じ年のペナントレースのさなか、球団職員の一人に星野監督から封筒が届いた。表に「見舞金」と書いてある。子供が病気で入院したことを人づてに聞いたらしい。職員は感涙にむせんだ。

 ▼中日、阪神、楽天。監督として迎えられた先々で、ほろりとさせる人情話の数々が残っている。球団は選手やコーチだけのものではない。「裏方も含めてファミリーだ」と語っていたのを思い出す。球史でも指折りのリーダーだろう。星野さんが70歳で亡くなった。

 ▼ユニホームを着れば感情の沸点は低く、グラウンド上での握り拳が印象に強い。多くのファンが喝采を送ったのは「打倒巨人」と息巻く異端児への安直な判官びいきではあるまい。「勝ちたいんや」と明快なベクトルを示す。時代の求める指導者像への賛美だろう。

 ▼トレードにも哲学があった。「子分」と目をかける選手をあえて手放し、痛みを背負う。中日監督時代に4選手との交換でロッテの三冠王、落合博満を獲得したときもそうだった。放出された投手が「星野さんのためになるなら喜んで」と涙ながらに語ったという。

 ▼非情の人ではなかった証しである。中日、阪神で計3度挑んだ日本シリーズにことごとく敗れ、「闘将」には長らく悲運の2文字もつきまとっていた。被災地に歓喜を届けた楽天での日本一は、情に生きたその人への天の配剤に思えてならない。

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