プロ野球の元投手で、中日、阪神、楽天の監督を務めた星野仙一氏が4日午前5時25分、膵臓(すいぞう)がんのため死去していたことが分かった。70歳だった。家族による密葬が執り行われる予定で、後日「お別れの会」を開く。
楽天球団によると、平成28年7月に急性膵(すい)炎を発症した際に膵臓がんであることが判明。その後は闘病を続けていたが、昨年12月末に病状が悪化し、家族に看取られながら4日未明に息を引き取った。球団によると、星野氏は亡くなる直前まで「コーチ会議に出られるかな」と話していたという。
岡山県出身の星野氏は岡山・倉敷商から明治大を経て、昭和44(1969)年にドラフト1位で中日に入団。本格派の投手として通算146勝を挙げた。気迫を前面に押し出す投球スタイルから「燃える男」と呼ばれ、巨人戦では特に闘志を燃やした。現役時代の通算成績は実働14年で146勝121敗34セーブ。49年には沢村賞に輝いた。
現役引退後は中日の監督に就任し、2度のリーグ制覇を達成。さらに阪神でも監督を務め、リーグ制覇を達成した。平成20(2008)年に行われた北京五輪では、野球日本代表の監督として出場した。23年には楽天の監督に就任。25年にはエースの田中将大投手(現大リーグ、ヤンキース)を擁して球団創設初のリーグ制覇、日本一を達成した。
野球に対する情熱的な姿勢から監督時代は「闘将」と呼ばれ、26年に監督を辞任した後は楽天の球団副会長を務めていた。29年には野球殿堂入りしている。