正論・年頭に当たり

「平成」最後の1年を迎えて思う 国民に教えた「象徴天皇」の存在 評論家・山崎正和

 大きく分けて、天皇陛下がご公務の柱として選ばれたのは2つあって、1つは自然災害の被災者の慰問、もう1つは先の大戦の殉難者の慰霊であった。いずれも国民の心の痛みを共有しようというお気持ちの表れだが、その深さは尋常ではなかった。災害避難所では床に膝をついて被災者と話されたし、戦災死者の慰霊のためには遠くサイパン島まで行幸された。しかも、そうしたご公務の遂行に際してもお心配りは細やかで、政治介入を注意深く避けられていた。

 テレビで窺(うかが)い知った限りだが、天皇陛下は被災地での人々の健康や損失についてはお尋ねになっても、避難所の処遇や暮らし心地に関するご質問は滅多(めった)になさらない。おそらくそれを尋ねれば、運営する自治体の評価が問われることになるから、意識してそういう間接の行政介入をも避けておられるものと、拝察されるのである。

≪格段に厳しい皇室の自己規制≫

 これだけの叡慮(えいりょ)を尽くして30年を経れば、人間たるもの加齢とともに体力の限界に達するのは当然である。そのときにご公務の量を減らすことは考えず、自ら課した義務を不動のものとする信念のもとに、それを果たせなければ地位を辞すと聖断されたのは、恐れながら天皇陛下の自恃(じじ)の念の表れと理解すべきだろう。幸いにも国民がそのご信念に恐懼(きょうく)して、若干の異論はあったものの、譲位をお認めしたのは賢明な判断であった。

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