有川浩のエンタメあれこれ番外編

神戸の巨大クリスマスツリー 「鎮魂」の名の下に二度と対立が起こらぬように

 だからこそ、震災の「被害」について軽々に語ってはならないと思いました。

 大した苦労もせずに震災を過ごした私が、被害の痛ましさを分かったように語ってはならないと思いました。

 それは、当時、私と同じようなレベルで震災を体験した人々の間に、暗黙の了解としてあったことのように思います。

 作家になってから東日本大震災が起こったとき、過度な自粛に対する危惧から、自粛は被災地を救わないという発言はしました。

 曲がりなりにも大規模震災を経験したことがある人間ではなくては公に言いにくいことですし、これは自分の実感として確かにあったことだからです。

 しかし、阪神・淡路大震災の「被災者」としてではなく、あくまで「体験者」としてしか語ってはならないという自分の中の禁忌がありました。

 それは私が独自に判断したことではなく、「暗黙の了解」が育てた「分際」です。

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 であればこそ、だからこそ。

 記事が生々しく訴える悲痛は、伝聞として「知ってはいる」ものの、おおっぴらに語ることは憚られる。

 そうした節度を保った空気が、「外縁地域」まで含めた阪神・淡路大震災の被災地域に醸成されていたと思います。

 本当の悲劇は、当事者しか語ってはならない。

 当事者に対して軽々に「悲劇の語り部」たることを求めてはならない。

 分際をわきまえたその暗黙の了解を、私はたいへん好ましい人間の営みだと思います。

 であればこそ、だからこそ。

 記事の訴えるような悲痛の記憶は、暗黙の中に受け継がれ、その生々しさには少しずつ忘却のベールがかかってきたように思います。

 そのベールは、痛みが癒えるために必要なことでもあります。

 知っているけど、敢えて大声で語らず、「覚えておく」。

 そういうことが必要な段階が、個人、公、あらゆる悲劇にあると思います。

そして、阪神・淡路は、被災地域としてその段階に入っていたように思います。

 であればこそ、だからこそ。

 その暗黙にひっそりと受け継がれてきた生々しい痛みを「直接には知らない」人々が、勇み足を踏んでしまった。

 今回のことはそういうことだったのではないか、と私は受け止めました。

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 純丘曜彰教授博士の記事の論調は、主催者に激しく怒りを突きつけるもので、反発を覚える人も多いかと思います。