有川浩のエンタメあれこれ番外編

神戸の巨大クリスマスツリー 「鎮魂」の名の下に二度と対立が起こらぬように

 (今はご存じの方も多いでしょうし、私は自分の生まれ育った環境で自然と身についていた知識なので、甚だざっくりとした感じですが、念のためご説明まで。山の木は間引かないと良い材木が採れませんが、間引く若木は長さが足りないので材木として出荷することはできません。そんな間伐材を有効利用して山林が収入を得る方法が割り箸でもあります。ただし、今は外国の木で作った割り箸を輸入することも多いため、割り箸=日本の山林の副収入という図式は簡単には成り立ちません。国産間伐材の割り箸の需要が増えたらいいなぁ、というのは、手入れをする人がいなくなってしまった荒れた山を見る度に思います)

 さて、山を維持するための間伐に一定の理解があり、植物についてもある程度の知識を持っており、阪神・淡路大震災の頃に被害の外縁地域ではあるものの関西に住んでいた私ですが、件のクリスマスツリーについてはぼんやりとした違和感を覚えていました。

 山の間伐とは何かが違う。

 ルミナリエとも何かが違う。

 しかし、その違和感が何なのか、私には掴みきれずにいました。

 鎮魂のために電飾を点すのはよくて、老木をクリスマスツリーとして飾るのは駄目なのか、と言われると、確かにそういう考え方もできるしな、と思いました。

 もやもやしながら、この件については触れずにおこう、と思いました。

     ■  ■

 なるほど、そういうことか。と腑に落ちたのは、この記事を読んでからです。

 ぼんやりとした違和感を覚えながらも、それを明確に言語化することができなかったのは、私が当時住んでいたのが「被害の外縁地域」だったからです。

 下宿の隣のアパートは完全倒壊しました。下宿の内見の候補にも上がっていた物件でした。

 でも、私の住んでいたアパートは大きな被害はなく、水も電気もガスもその日のうちに復旧しました。

 運悪く倒壊した建物が町内にちらほらあり、犠牲者も出ている。

 しかし、秩序の混乱はありながらも、比較的早く日常を取り戻した地域に私は住んでいました。

 該当の記事のような痛ましさは、知人から話が入ってくる程度で、自分の身近な体験としては持っていませんでした。