泉北ニュータウン50年 まちをつなぐ(上)

思い出の味は「チーズパン」 44学級マンモス小学校も…高度成長で急拡大

マンモス校も

 堺市南部と和泉市東部に広がる泉北ニュータウンは今年でまちびらきから50年。これまで多くの家族が新居を求めて移り住み、年を重ねてきた。ニュータウンで育ち、巣立っていった人も少なくない。

 ニュータウンができた昭和42(1967)年は、まさに高度経済成長期。新天地を求める働き盛りの若い世代が公営住宅などに殺到、子供の数も急増した。

 堺市教委によると、市内の泉北ニュータウンの小中学生が最も多かったのは昭和59(1984)年度で、小学生2万2916人、中学生1万687人と現在の3倍以上の児童生徒がいた。

 人口増に対応しようと、学校が増設されたが追いつかず、全国有数のマンモス校も登場。タウン内にある赤坂台小は昭和58年に全校児童数が1817人(現在は421人)にまで増加、クラス数は全校で44もあった。

 幼少期にぜんそくを患っていた今井さんの一家は、緑豊かな環境を求めて転居してきた。「『遊ぼう』ってひと声かけたら、すぐに子供が10人ぐらい集まってましたね。みんなでゴム跳びとかやりました」と当時を振り返る。

それぞれの青春

 子供たちの増加に伴い、少年野球チームなどの結成も相次いだ。強豪チームも育ち、プロ野球選手も誕生した。阪神タイガースの藤浪晋太郎選手(23)もその一人。南区の荒山公園でよく遊んだといい、「泉北ニュータウンの変わらないところが好き。これからも伸び伸びできる、ゆったりした時間が流れる環境であってほしい」と話した。

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