歴史では無数の事件が毎日のように起きる。そのうち、ほとんどは忘れ去られ、歴史の事実として記憶と記録に委ねられるのは少数だ。フランスの古代史家ポール・ヴェーヌは、歴史とは小説と同じで物事を単純にして1世紀を1ページに凝縮してしまうと語ったことがある(『歴史をどう書くか』)。
しかし、米トランプ大統領による12月6日の演説は簡単に忘却や修正のきかない史実としての重みを内外にもち、わずか数分の演説を1世紀の物語にしかねない衝撃を与えた。この重さを知らないのはトランプ氏自身かもしれない。
《「中東和平」調停者の役割失う》
エルサレムをイスラエルの首都として公式に認定し、米大使館をテルアビブから移すという意思表示は、70年来の米国の中東政策の大きな転換である。首都承認と公館移転の可能性について、私は今夏に佐藤優氏と議論し、その危険性と問題点を予見したことがある(新著『悪の指導者論』参照)。
たしかに米国は、国内法の上で1999年までにエルサレムへ大使館を移す義務を負っていたが、歴代政権は安全保障面の理由やアラブ穏健派の国々への配慮から、その実施を延ばしてきた。中東和平の最重要調停者としてイスラエルとパレスチナに橋を懸けられるのは米国だけであり、サウジアラビアやエジプト、ヨルダンを説得してパレスチナ問題を解決できるのも米国のはずであった。